渋沢教会
更新日:2009.01.12

1月11日 詩編による説教「はらわたをしらべる神」

浜崎 孝牧師
詩編7編1〜18節
マルコによる福音書1章40〜42節

聖書の中の人々は、はらわた(内臓)が人間の感情の宿る所だと理解していました(エレミヤ書11章20節参照)。 ですから、信仰の詩人ダビデは、神さまが内視鏡で検査をする医師ででもあるかのような言い方をしたのです。 「心とはらわたを調べる方 神は正しくいます。」(10節)

ダビデは、「主よ、裁きを行って宣言してください/お前は正しい、とがめるところはないと」(9節)と願っていますね。 私どもははらわたを調べる神さまに対してそのような祈りをささげたダビデの信仰から健康的な刺激を受けるのです。

筆者には、胃カメラによる検査を受けた際、「きれいですね……」と言われ安堵した体験があります。 主なる神さまから想いの座を調べていただき、「あなたは心のまっすぐな人」(11節)と認めていただける信仰者は幸いです。

救い主イエスさまは重い皮膚病を患っていた人の懇願をお聴きになった時、「深く憐れんで手を差し伸べ」(マルコ1章41節)ました。 その「深く憐れんで」も心臓や肝臓、肺臓や腎臓などの内臓を表わす語が使われています。どうぞ、あなたの感情の座にも、 主のお心に適うような想いを就けるお祈りを……。