渋沢教会
更新日:2009.03.11

3月08日 詩編による説教「『いつまで』と問う日は」

浜崎 孝牧師
詩編13編1〜6節
ヨハネの黙示録6章9〜11節

詩編第13編は、苦悩の日々を過ごした信仰者が、「いつまで」と問うた体験を語っています。「いつまで」という嘆きの表現が、4回も見出されます。 「思い煩い」の原語も複数です。主なる神さまが「わたしを忘れておられる」と思えて仕方のない日が長く続く中で、信仰の詩人は思い煩いを重ね、 「動揺」もしたようです。あなたにもそういう体験がありますか?敵や病気や罪のことで苦しみ、「いつまで」と問うた人は聖書の中にたくさん見出されます (ヨブ記7章、詩編90編、黙示録6章参照)。

キリスト・イエスさまのお言葉にも、「いつまで」と問うものはありました(マタイによる福音書17章17節参照)。 そして、それを伝えた福音書の結語は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28:20)でした。 「いつまで」と問う日は苦しいですが、その苦痛をいつまでも支えてくださる主イエスさまの慈愛が伴っているという真実を憶えましょう。

「いつまで」と問う日に大切なのは目の光です。そして、詩編19:9は、主の御言葉が「目に光を与える」と語っています。 「いつまで」と問う辛い日にこそ聖書を読みましょう。光をたたえた目が、生き抜く力と喜びの発見には欠かせないのです。