渋沢教会
更新日:2009.07.13

7月12日 詩編による説教「主の山に上る人」

浜崎 孝牧師
詩編24編1〜10節
ヨハネによる福音書6章1〜15節

詩編15編では、「どのような人が……聖なる山に住むことができるのでしょうか」(1)と問われていましたが、詩編24編は、 「どのような人が、主の山に上り/聖所に立つことができるのか」と問いかけています。そして、このように問われる教会堂の礼拝者は、 どのような人が主の山に登ったか……ということを想い起こす者になります。

創世記22章には、あのアブラハムが主なる神さまから行くように命じられた山に必死に登った出来事が記されています。その出来事から、 「主の山に、備えあり(イエラエ)」という慰めや希望をおぼえる言葉が神の民の間で語られるようになったのでした。また、マタイによる福音書28章16節には、 「さて、11人の弟子たちは……、イエスが指示しておかれた山に登った」と記されています。お弟子たちはその山で、いわゆる「大宣教命令」を受け、 彼らにふさわしい祈りの路づくりへと立ち上がったのでした。私どもは、そういう信仰の人々がした「山(丘)上り」のおかげで、 私どもも「主の山に上りたい」という祈りを与えられたのです。どうか、あなたの人生の山上り(礼拝出席はその一つ)も、力強い隣人愛になりますように。