渋沢教会
更新日:2009.08.10

8月2日 詩編による説教<赦しの確証>

浜崎 孝牧師
詩篇25編1〜22節
ローマの信徒への手紙8章1〜3節

 

詩編25編6〜14節は、主日礼拝の「罪の告白・赦しの確証」のところで朗読されています。信実な罪の告白がなされているからです。 この信仰の詩人は、「若いときの罪と背き」(7)を想い起こし、自分は「罪人」(8)であることを認めています。そして、 「罪深いわたしをお赦しください」と祈っています。彼はまた、「わたしのすべての罪をお赦しください」(18節口語訳)とも願っています。 どういう人々がキリスト教会の礼拝者としてふさわしいか……ということを教えられますね(ヨハネの手紙 一 1:9〜10節を参照)

ところで、これがとても大切なことなのですが、詩人の「罪の告白」は主なる神さまの「とこしえの憐れみと慈しみ」を信頼しつつなされています (3、5、8〜10、15、20、21節)。そして、信頼が溢れるところには感謝や喜びが伴っているはずです。つまり、ここにあるのは「赦しの確証」であり、 喜びの表明とも言うべき「罪の告白」なのです。重苦しい「罪の告白」ではなく、すでに赦し受け容れられているという感謝に押し出されたそれ……。 そういう「罪の告白」には、豊かな祝福が待っているのです(詩編32:5を参照)。