渋沢教会
更新日:2010.4.14

4月11日 詩編による御言葉の説教「死を越えて」

浜崎 孝牧師
詩編48編1〜15節
ヨハネの黙示録21章1〜8節

今、日本人宇宙飛行士が二人、宇宙で仕事をしています。その一人、山崎直子さんは、長い年月をかけての準備から家庭崩壊の危機にまで遭遇したということです。 そして、その危機を支えたのは、R.ニーバーの祈りだったそうです。「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。」――ニーバーは、米国の著名な神学者でありキリスト教会の牧師だったのです。 そういう人の祈りに支えられつつ宇宙へ行った山崎さんは、どのような人生体験をして来るのでしょうか。


かつて立花 隆さんは、宇宙飛行士たちへの取材をもとに『宇宙からの帰還』(中央公論社)という本を書きました。 それを読むと、宇宙飛行士たちの中からキリスト教の伝道者になった人がいたことがわかります。その人は宇宙で、神さまとの出会いを体験したのです。 使徒信条が、「わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます」と告白しているように、宇宙も神さまが創造なさったところです。 ですから、宇宙でも、「神は御(おん)自らを示される」のです。


そこで、詩編48編ですが、この信仰の詩は、エルサレムの「城郭に、砦の塔に、神は御自らを示される」(4節)と言っています。 「大いなる主、限りなく賛美される主。/わたしたちの神の都にある聖なる山は/高く美しく、全地の喜び。/北の果ての山、 それはシオンの山、力ある王の都。/その城郭に、砦の塔に、神は御自らを示される。」(2〜4)――詩人は、シオン(「要害」の意味で、 エルサレムを表す名称)の賛歌を書いたのです。彼は、シオンを「神の都」、「力ある王の都」と言い表しています。「聖なる山」、 「シオンの山」は「高く美しく」とも言い表しています。私どもは、3千7百メートル以上の高く美しい富士山を見ながら暮らしています。 しかし、シオンの山は8百メートル程度の高さなのです。にもかかわらず、信仰の詩人は、シオンの山は主なる神さまに愛された山であり、 「高く美しく、全地の喜び」になっているというのです。シオンの山は、「北の果ての山」と言っていますが、これも地理的な表現ではなく――イザヤ書には 「神々の集う北の果ての山に座し」(14:13)ということが語られていますが――シオンは大いなる主ヤーウェが座し給(たま)う山という賛歌であればこその表現なのです。


このような信仰の詩人のシオン賛歌には、どれということは特定できませんが、 危機との遭遇とそれをとおして知った主なる神さまの御力(みちから)と慈しみがモチーフになっているようです。 詩人は、「見よ、王たちは時を定め、共に進んできた」(5)という危機的出来事を語っています。ここは、月本昭男訳で読むと、 「じつに、みよ、/王たちが互いに示し合わせ、/こぞって踏み込んで来た」です。私どもは、詩編46編の学びで、 紀元前701年のアッシリア帝国軍による侵略の危機を想い起こしたばかりですが、ここにもシオンの危機があったのです。 ところが、「彼らは見て、ひるみ、恐怖に陥って逃げ去った」(6)というのです。これは、前の口語訳聖書で読めば、 「彼らは都を見るや驚き、/あわてふためき、急ぎ逃げ去った」という出来事です。神の都シオンの佇(たたず)まいには、 彼らを圧倒するリアリティーがあったということでしょう。こぞって踏み込んで来たという王たちは、 「産みの苦しみをする女のもだえ」のような「おののき」(7)に捕らえられてしまったということです。 「東風に砕かれるタルシシュの船」(8)は、主なる神さまに敵対した勢力の運命を語る象徴的表現のようです(エゼキエル書27章25〜26参照)。 それを見た者たちが戦意を喪失させられた都シオン……。「神はこの都をとこしえに固く立てられる」という信頼を新たにした信仰の詩人は、 詩情をかきたてられ、シオン賛歌を書かずにはいられなかったのです。「聞いていたことをそのまま、わたしたちは見た/万軍(ばんぐん)の主の都、 わたしたちの神の都で。/神はこの都をとこしえに固く立てられる。」(9)


そこに暮らす人々に踊りたくなるような喜びを与え、そこを蹂躙しようとする者たちの野望を粉砕する神のリアリティーを持った都の中心は、 神殿でした。詩人は、「神よ、神殿にあってわたしたちは あなたの慈しみを思い描く。」(10)と言っています。 主なる神さまの慈しみを思い描くことが出来る神殿での礼拝が、シオンに暮らす人々とその都を輝かせていたのです。神殿の礼拝で歌われた賛美が、 主なる神さまの栄光をシオンの都に広げて行くことに用いられ、その出来事は「御名と共に地の果てに及ぶ」(11)という希望を祝福されたのです。 そして、私どもが、ただ一度だけ歩むことを許されたこの人生で、キリスト・イエスさまの慈しみを思い描く教会堂での礼拝を分かち合えるようになった恵みは、 とても大きな祝福なのです。


シオン賛歌を詠って来た詩人は、次のように呼びかけました。「シオンの周りをひと巡りして見よ。/塔の数をかぞえ/城壁に心を向け、城郭に分け入って見よ。」 (13〜14a)――神殿にあって主ヤーウェの慈しみを思い描く恵みをいただいた礼拝者は、どうぞまた神殿を中心に整えられたシオンの都をひと巡りし、 主ヤーウェの目配(めくば)せを想い巡らして行きなさい……ということでしょうか。詩人は、「後の代に語り伝えよ/この神は世々限りなくわたしたちの神/死を越えて、 わたしたちを導いて行かれる、と。」(14b〜15)と結びました。主にある兄弟姉妹、私は、「城壁に心を向け……て見よ」という呼びかけは、 渋沢教会の礼拝者の皆さんにとって殊(こと)のほか意味のあるものだと想いました。それは、渋沢教会の礼拝堂の正面の壁には、光の十字架が点ることがあるからです。 「あなたが礼拝をささげている会堂の壁に心を向けよ」。


去る2月21日の朝に撮影出来た光の十字架は、めったに見ることが出来ないもので、私がそれを見たのはたった二度です。初めてその十字架を見出した時、 私はそれをカメラで撮影し、この会堂の設計者であるS兄にお知らせしました。 Sさんは、東側の十字架のガラスの壁から光が会堂内に広がることは考えていらっしゃったわけですが、 プルピット(説教台)の後ろの壁に光の十字架が点ることは考えになかったというお返事をくださいました。 私ども人間の考えにはなかったことが現実になり、しかもそれがめったには見られない、教会堂の正面の壁に点る光の十字架というのが良いですね。 渋沢教会の礼拝堂の壁に、キリストは御自らを示されるということを想い起こさせていただけるのです。そして、こういう出来事を想い巡らして行くと、 「この十字架の愛を注いでくださった神さまは世々限りなく、死を越えて、わたしたちを導いて行かれる」という復活の信仰の希望が更新されます。 その素晴らしい恵みを、後の世に伝えよ……という主の目配せに従って健闘したいという祈りも沸き出てきます。



信仰の詩人は、「聞いていたことをそのまま、わたしたちは見た」と言っていましたね。私どもにもそういう感謝があるのです。 それを忘れないようにしたいという想いも与えられます。信仰の先輩たちから聞かせていただいた証しのとおりの恵みを体験できたという、 その尊い事実を後の世に語り伝える愛に生きること、それが神殿や教会堂で神さまの慈しみを思い描く人々に神さまから期待されていることなのです。



私どもが「聞いていたこと」は、キリスト・イエスさまは私どもの罪を贖うために十字架の死を引き受けてくださったこと、さらに、 イエスさまは復活してくださり、十字架を勝利の出来事にしてくださったことですね。そして、私どもも、 「聞いていたことをそのまま、……見た」のではなかったでしょうか。あかるくあたたかい光の十字架は、会堂の壁に点るだけでなく、 会堂の礼拝で神さまの慈しみを思い描く人々の心の部屋の壁にも点って来たのです。そして、それによって私どもは、 死の壁のようなものさえ越えて生きて来ることが出来たのでした。



この前の主日、私は教会の皆さんから定年退職を祝福していただき、復活の主の恵みへの感謝を新たにしました。 私は、生まれて間もなく死の壁に直面し、お医者さんから「もう駄目かも知れない」と言われた者なのです。 しかし、イエスさまはそのお力で死を越えさせてくださり、今日まで私の心の壁に光の十字架を点し続けてくださいました。 皆さんにも、死を越えることが出来た証しはあると想います。「この神は世々限りなく……死を越えて、わたしたちを導いて行かれる。」――どうぞ、 大いなる恵みを後の代に語り伝えていきましょう。お祈りします。