渋沢教会
更新日:2010.7.27

7月25日 マタイ福音書による御言葉の説教「重荷があっても生きられる」

丹羽 義正牧師
イザヤ書45章20〜25節
マタイによる福音書25章14節〜30節

 

タラントンのたとえ話、このタラントンはその人に与えられている能力とか賜物を表しているよりも、私たちに与えられている人生の課題、 重荷と理解する方がよいでしょう。その場合、神様は私たちに負い切れないほどの過大な重荷を与えられないということになります。 このことが私たち信仰者の「人生に対する基本的な姿勢」を造ります。私たちの出遭ういかなる困難、課題も、自分の能力をもって向き合えば、 必ず、乗り越えられる。そういう課題のみが与えられるのです。しかし向き合わずに避けてしまうと、かえって課題に支配されてしまうのです。 向き合えば、課題を支配し、乗り越えることができます。1タラントンの僕は向き合わずに逃避しました。 それは主人を「厳しい方」(原語は乾いている)と誤解したからです。本当はドライ(乾いた)な非情な方ではないのに、 過大な重荷を平気で与える方だと誤解し、向き合うことに躊躇(26節の「怠けもの」の原語では躊躇する、不安になるという意味)したのです。 14節の「預ける」は、御子を十字架に引き渡すときの「引き渡す」と同じ言葉です。神は御子を与えられたのと同じ愛をもって、 私たちの人生が豊かになるような課題を与えられるのです。