渋沢教会
更新日:2010.8.16

8月15日 エズラ記による説教『神の目が注がれていたので』

古畑 和彦牧師
エズラ記 第5章1〜17節
ペトロの手紙一 第3章 8〜17節

 

サマリア人の妨害工作のために、イスラエルの民はやむなく神殿再建工事を中断して、時を待つことになりました。待つことは辛く、忍耐のいることです。 その中で民は次第に、神殿再建よりも自己中心の生き方を考えるようになっていきました。その結果、彼らは神の祝福を失うことになりました。 このようなイスラエルの民に神は、「預言者ハガイとイドの子ゼカリヤ」(1)を送り、彼らに叱責と励ましを与えられました。 神の御言葉が語られる時、神の民は、悔い改めて「立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開」(2)しました。

視察に来たペルシアの総督たちは「神の目がユダの長老たちの上に注がれていたので、彼らは建築を妨げることができ」(5)ませんでした。 神の見守りのあるところ、試練の中にあっても、神の御心を行う力が与えられるのです。私たちも忍耐と苦難の中であっても「神の目が注がれて」いることを信じて、 私たちなりに、「平和造り」の道を歩んでいきましょう。