渋沢教会
更新日:2010.10.05

10月3日 詩篇による御言葉の説教「愛の裁きを憶えて」

浜崎 孝牧師
詩編58編1〜12節
ローマの信徒への手紙12章19〜21節

 

表題が示しているように、この詩編も神殿の礼拝において讃美歌として用いられたようです。しかし、もしあなたが「〇〇讃美歌委員会」の委員だったなら、 この詩編の採用は見合わせたことでしょう。こういう詩が聖書に見出されることの意味は理解出来るとしても、讃美歌の歌詞としては強い疑問をおぼえます。 「神に逆らう者」の不公平な裁きや不法への憤怒からだったとは言え、私どもはこんな烈しい呪いと、「報復」の血で足を洗うことが出来る「喜び」を讃美歌には出来ません。

最後の詩句が、この詩全体を支えています。「神はいます。/神はこの地を裁かれる。」――この真実を想い起こすことによって、 詩人たちは人間らしいあり様を回復出来たのです。そして、自ら報復の血を流す悲惨から守られたのでした。 祈りは、ボイラーに取り付けられた安全弁のようなものでもあるのです。

キリストは、あの十字架の上で、ご自身に向けられた呪いの毒を吸収してしまわれました。そして、「父よ、彼らをお赦しください。 自分が何をしているのか知らないのです」と執り成す愛を示されました。限りない慈愛による報復と裁き……。実は、詩編58編も、そういう愛で聴かれた祈りだったのです。