渋沢教会
更新日:2010.11.19

11月14日 詩編による御言葉の説教「むなしい救い」

浜崎 孝牧師
詩編60編1〜14節
ローマの信徒への手紙1章18〜32節

 

サムエル記上26章に、次のようなダビデの言葉が見出されます。「(アブネル)お前も男だろう。お前に比べられる者は、イスラエルにいない。 そのお前が、なぜ自分の主人である(サウル)王を守れなかったのだ。敵兵が一人、お前の主人である王を殺そうと忍び込んだのだ。お前の行いは良くない。 主は生きておられる。お前たちは死に値する。主が油を注がれた方、お前たちの主人を守れなかったからだ」(15〜16)。……こういう現実を見つめたダビデは、 「人間の与える救いはむなしいものです」(詩編60:13b。前の口語訳は、「人の助けはむなしいのです」)という大切な人間理解を持ったのです (但し、ダビデは「人の助け」を軽視したわけではありません。アブネル批判の動機を熟慮すれば、それが良くわかります)。

人間の与える救いは空しいのに、それを追い求める人々は少なくありません。「あなた(神さま)は御自分の民に辛苦を思い知らせ/よろめき倒れるほど、 辛苦の酒を飲ませられた。」(5)――こういう神の怒り(3節参照)からの救いのため、キリストは十字架という辛苦の杯をお受けになったのでした。 そういう贖罪愛の力は、人間には無いのです(詩編146:3)。