渋沢教会
更新日:2010.12.05

11月28日 エズラ記による説教『しかし、希望がある』

古畑 和彦牧師
エズラ記 第10章1〜44節
使徒言行録 第27章13〜26節

 

エズラは、イスラエルの犯した罪を自分のこととして、神に「涙ながらに」(1)悔い改めの祈りを捧げていました。この悔い改めの心は、 池に投げられた石の波紋のように、民の間に広がっていきました。そして、「今」、罪を解決するために、他民族の「嫁と嫁の産んだ子をすべて離縁」 (3)することが提案されました。悔い改めは、明日ではなく「今」しなければならないのです。しかし、イスラエルは、三ヶ月をかけて、慎重に調査を行い、 罪を犯した者には、事実に基づいて悔い改めを迫っていきました。悔い改めには、「今」という緊張感のなかで、冷静に神の御心を探ることが、重要なのです。

私たちの現在も、将来も、私たちの罪と不信仰の故に、厳しさと不安に満ちています。しかし、エズラのように、悔い改めの心を持って神に助けを求めるならば、 私たちには「希望があります」(2)。なぜならば、どのような時にも、神は、悔い改めに生きる者と共におられるからです。