渋沢教会
更新日:2011.1.12

1月9日 詩編による御言葉の説教「礼拝堂で見ています」

浜崎 孝牧師
詩編63編1〜12節
ヨハネによる福音書1章43〜51節

 

「命を奪おうとする者」(10節)に向き合う大試練の中で、信仰の詩人は神さまを「捜し求め」、魂を傾注して神さまの助けを「渇き求め」ました。 その闘いは厳しく、詩人のからだは「乾ききった大地のように衰え」たのでした。けれども、人生の荒れ野にいて、 そんなふうに主なる神さまを待った信仰者こそ幸いなのです(イザヤ書30章18節参照)。

詩編の信仰者の切実な「求め」は、「聖所」の礼拝において祝福されました(3〜6)。聖所の礼拝者になって神さまを仰ぎ望んだ詩人は、 神さまの偉大な力とそのご慈愛の栄えを再発見出来たのです。深刻に「死」に向き合った詩人でしたが、彼は聖所の礼拝で、神さまの「慈しみは命にもまさる恵み」であり、 「命のある限り、あなた(神)をたたえ」たいという祈りに燃えあがったのです。衰え果てていた詩人が、 魂の「満ち足り」を与えられ、新しい「賛美の声」をあげないではいられない神の民として復活させられたのでした。

教会の礼拝堂で私どもが見て来たものは、キリストの十字架の愛の力とその栄光でした。聖なる劇場で見る尊いドラマ……。 この年も、礼拝堂の主日礼拝を信実に求めて行きましょう。