渋沢教会
更新日:2011.2.08

2月6日 詩編による御言葉の説教「ヤーウェの矢」

浜崎 孝牧師
詩編64編1〜11節
エフェソの信徒への手紙6章10〜18節

 

この信仰の詩人は、「毒を含む言葉を矢としてつがえ」た人々の悪事を神さまに訴えました。彼は、毒矢を射かけられ、死ぬほど苦しめられたのです(ヨブ記6章2〜3節参照)。

悩み訴える信仰者の声を聴いた主ヤーウェは、慈愛に満ちた言葉を矢としてつがえ、この世界へ放たれた神さまでした。主なる神さまは、全人類の罪を贖うため、 み子イエスさまという愛の矢を放ち、その十字架と復活の愛で私どもの魂を射抜き、私どもが罪に死んで永遠の生命に生きるようにしてくださったのです。 「御業に目覚める」ということは、そういう深い事柄を言い表す言葉として語られるなら、真に御心に適うことをキリスト者は知っているのではないでしょうか。

旧約の詩人は、隠れた所から無垢な人を射るような人々はヤーウェの矢に討たれると言いました。それは真摯に見つめたいことです。 でも、主の矢に討たれた人々を見て「侮る」あり様は、私どもには相応しくないことを憶えていましょう。

毒矢が激しく飛び交う社会は、慈愛の矢を切実に求めているのです。どうかあなたもキリストにあって、主ヤーウェが備え給う的に向って飛ぶ、慈しみ深い愛の矢でありますように。