渋沢教会
更新日:2011.3.24

3月20日 フィレモンへの手紙による説教『主イエス・キリストの』

古畑 和彦牧師
ヨブ記 17章11〜16節
フィレモンへの手紙 21〜25節

序 手紙、いよいよ結びに


紀元53年、小アジアの町コロサイの郊外にある屋敷では、この家の主人フィレモンがローマの獄中にいるパウロから来た手紙を読んでいました。 屋敷中の者が、息をひそめて、それを聞いていました。手紙は、本論が終えて、あとがきの部分へときました。フェレモンは、 それまで息をすることを忘れていたかのように、大きく息を吐き出すと最後の個所を読み始めました。よく映画やテレビドラマなどで、 手紙を読んでいるうちに、手紙を書いている場面が映し出され、書き手本人が手紙を朗読するということがあります。そんなイメージでここを読まれるとよく分かる、 と思います。


本論1 パウロの希望


パウロは、ローマの獄中で手紙を書きながら、目の前にフィレモンがいるかのように、2つの希望を述べていきます。1つ目は21節です。


「あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう」


パウロは誰かれかまわず、言いたいことを言いまくったのではありません。聞かれようが聞かれまいが、勝手に語ったのではなかったのです。 相手を見て、相手がフィレモンであるがゆえ、聴く耳を持つ友人であるがゆえ、「聞き入れてくれると信じて」記してきたのです。 パウロがフィレモンに寄せていた信頼のほどは、「わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう」という言葉に表れています。 フィレモンは、1を聞いて10を理解してくれる人物だったのです。 彼をそのような行動へと促すのは、外側からの命令や強制ではありません。 フィレモンの内側から起こってくる愛がそのような行動へと導いたのです。


誰よりも愛に基づいて「わたしが言う以上のことさえもして」下さったのは、主イエスご自身でした。主イエスは、5千人、4千人に給食されたとき、 ぎりぎりの給食されたのではなく、パンの余りは12籠、7籠に一杯になりました。十分どころか十二分というところだったのです。主イエスは、 ガリラヤ湖上で空腹だった弟子たちに、153匹の大きな魚を与えられました。1人に1匹ではなく、余分なふるまいをしてくださったのです。 よく考えてみますと、私の人生においても、神は「わたしが言う以上のこと」をいつも、して下さっていたのではないでしょうか。 それなのに、いつまでも、「言われたこと」、「命じられたこと」、「決められたこと」をやりさえすれば、天狗になるようでは申し訳ありません。 ましてや、「言われたこと」、「命じられたこと」、「決められたこと」の半分もしていないようでは……。


二つ目の希望は22節です。


「ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです」


「そちらに行かせていただける」という言葉は、「恵み」を意味する言葉からできています。つまり、 主なる神が「恵みによって」訪問の機会を与えて下さったら「宿泊の用意を頼みます」ということです。いくらか光明が見えてきたとはいえ、 今獄中に繋がれているパウロには、明日のことはわからないのです。ですから、パウロは、「あなたがたの祈りによって」と祈りの要請を行ったのです。


それにしても、明日のことも分からない身にありながら、神が恵みを与えて下さったら、どこそこに行こう、あれをしようと予定表に書き込んでいる姿には頭が下がります。 パウロの年齢とこれまでの労苦を考えると、出獄したら、伝道生活から引退して静かな老後を過ごしても誰も文句を言わないでしょう。 少なくとも、心身ともに疲れ切った体を休めて次の働きのために充電期間を設けてもいいはずです。それなのに、先々の計画を立てて、 その計画の実現のために祈りの要請をしているのです。ちょっとした仕事でもすると、疲れを強調して、休養だの、休暇だのと、へたり込む者は赤面せざるをえません。


このパウロのフィレモンのもとを訪問する希望は、結局かなえられませんでした。しばらくして、パウロは皇帝ネロによって殉教することになります。 しかし、パウロは、主イエスが、天の「父の家」(ヨハネ14・2)に用意して下さった場所でフィレモンとの再会を果たすことができました。 私たちが、希望したことはいつも私たちの思い通りになるわけではありません。しかし、主は最善をなしてくださることを信じたいと思います。


本論2 「よろしく」


パウロは、最後に獄中に共にいた「エパフラス」「マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカ」の5人の「よろしく」の言葉を記していきます。 これは、たとい個人的な手紙で、個人的な用件しか記さないものであっても、その問題について、主にある兄弟たちがともに祈り、 重荷を分かち合っていたことを表そうとしたのです。これらの人々は、オネシモの問題について、ともに考え、ともに憂い、ともに祈っている人たちでした。 映画で描くなら、手紙を中心に、パウロを囲んで、5人全員がのぞき込んでうなずいている姿が描かれます。


筆頭は「エパフラス」です。「キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています」(23節)。 エパフラスが最初に、それも多くの言葉をもって紹介されているのは、彼がコロサイ教会の牧師だったからです。 フィレモンへの手紙と同じころ書かれたコロサイの信徒への手紙の初めに、「あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、 愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり」(1・7)とあります。同じ手紙の終わりには、 「彼は、あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているようにと、いつもあなたがたのために熱心に祈っています。 わたしは証言しますが、彼はあなたがたのため……に、非常に労苦しています」(4・12節b、13節)とあります。 エパフラスは「仕える者」として「忠実」であり、「熱心に祈り」、「非常に労苦して」いる伝道者だったのです。 そして、今、フィレモンへの手紙でも、彼が捨て身の奉仕者だったことが「キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている」と言われていることから分かります。 当時、ローマでは、志願者に囚人と鎖をともにして、その身のまわりの世話や介抱を尽くすことがゆるされていました。 そこで、「エパフラス」は、コロサイ教会から派遣され、報告のためにパウロのもとを訪ねたのでしたが、そのまま帰らずに、 みずから志願してパウロの獄中生活をともにしたのです。コロサイの群れのために「非常に労苦」した彼は、今、ローマに使いをしても、 単なる報告と挨拶だけでは満足せず、獄中のパウロのためにも苦労しなければやまなかったのです。


24節には、「わたしの協力者たち」という称号のもとにあとの4人が一挙に列記されます。「わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、 ルカからもよろしくとのことです」(24節)。


まずは「マルコ」です。彼はヨハネ・マルコといわれ、信仰深い母親に育てられましたが、わがままな性格が災いして、 パウロの第一次宣教旅行について行くことを許されながら、途中で「一行と別れてエルサレムに帰って」(使徒13・13)しまいました。 そのため、第二次宣教旅行の際には、パウロから同行を拒絶されてしまいました。そのマルコが今度こそ一人前になってカムバックしたのです。 一度躓いたが立ち直った奉仕者、それがマルコでした。


次は「アリスタルコ」です。彼はテサロニケのマケドニア人で、パウロ伝道がきっかけ起こったエフェソでの騒動の際には群衆に捕えられ、生命の危険にさらされました。 その後、カイサリヤから海路ローマへ送られるパウロに影のように付き添い、難船、難破の劇的な体験を分かち合いました(使徒27・2以下)。 そして、獄中にまでパウロに付き添ったのです。終始一貫、真実を貫き通した奉仕者、それはアリスタルコでした。


3人目は「デマス」です。彼は、今、使徒パウロに協力者として名をあげられていますが、数年後には、「この世を愛し」パウロを「見捨てて」 (Uテモテ4・10)しまいました。途中で挫折してしまった奉仕者、それがデマスでした。


最後は医者「ルカ」です。彼がパウロと行動をともにしたのは、第二次宣教旅行の途中のトロアスの港町からで、それ以来、 当時の医者に付きものの富や名声を捨ててパウロに従いました。病弱な使徒パウロの専属医師を務めて奉仕し続けました。 そして、テモテへの手紙二で「ルカだけがわたしのところにいます」とあるように、最後の最後までたったひとりでパウロとともに獄中にいました。 そして、福音書と使徒言行録を執筆しました。これほど、重要な働きをしてきているにも関わらず、彼は、福音書の序文でも、 「わたし」と言うにとどめ、自分の体験を記す「使徒言行録」でも、「わたしたちは」として、自分の姿を大勢の中に埋め込んでいます。 温厚誠実に、影の人に徹する奉仕者、それがルカでした。


ここには4種類の奉仕者の姿が描かれていました。@一度躓いたが立ち直った奉仕者、マルコ。A終始一貫、真実を貫き通した奉仕者、アリスタルコ。 B途中で挫折してしまった奉仕者、デマス。C温厚誠実に、影の人に徹する奉仕者、ルカ。私たちは、このような奉仕者の姿から何を学ぶのでしょうか。


本論3 祝福


「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように」(25節)。


この祝福には、御父の名も、聖霊の名もなく、ただ「主イエス・キリスト」の名のみ挙げられています。これは申すまでもなく、 イエス・キリストの「神」たることを表すものです。主イエス・キリストが「神」でないならば、このような祝福はありえないわけです。


「主イエス・キリストの恵み」とは、「主イエス・キリストから与えられる恵み」というよりも「主イエス・キリストという恵み」の意味です。 まず、「主」と記されます。パウロも、フィレモンも、オネシモもみんなみんな唯一の主に仕える僕同士として、その交わりを展開させていけるのです。 次は、「イエス」です。「イエス」とは天使を通して命名された名前でしたが、そこには明確な理由が示されていました。「その子をイエスと名付けなさい。 この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイ1・21)。まさしく、罪人オネシモの回復を願うパウロの心に、 「イエス」の名はひとしお感慨深いものがあったでしょう。さらに、オネシモの奴隷状態からの救出を願って綴られたこの手紙の末尾にふさわしい「イエス」の御名です。 そして第三は「キリスト」です。油そそがれた「王」であり、「祭司」であり、「預言者」でもある称号です。主は、オネシモ、フィレモン、パウロの人間関係を、 王として統治し、祭司としてとりなし、預言者として宣言します。こうして「主」であり、「イエス」であり、「キリスト」であるお方の「恵み」が、 「あなたがた」つまりフィレモン一家、またその家に集う教会にあれ、とパウロは祈るのです。


恵みの祈りで始まったこの手紙は、「主イエス・キリストの恵み」を求める祈りで筆が置かれています。 そして、この手紙の中身全体がまさにその恵みの力の例証にほかならないことを私たちは見てきました。 主イエス・キリストの恵みに生かされてこそ、信徒たちの交わりである信仰共同体は成立し、存続し、成長していくのです。


結論 エフェソの総督オネシモ


ついにフィレモンは、パウロから来た手紙を読み終えました。逃亡奴隷オネシモの運命はどうなるのか、屋敷中の者が、一斉にフィレモンを見つめます。 彼は大声で叫びます。「オネシモを牢獄送りにする」。人々が「やっぱり駄目か」とつぶやき始めると、 フィレモンはそれを手で制して「オネシモをローマの牢獄に送る」と叫びます。屋敷中に歓声が上がりました。 こうして、フィレモンは、パウロの「わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう」(21節)という期待に沿って、 オネシモを解放し、自由人にしたのみならず、捕われの身にあるパウロのもとに送りかえし、その身近に、自分にかわって仕えさせようとしたのです。


物語は、これで終わりません。それから50年後、エフェソ教会で、大切な会議を行われていました。厳しい迫害の中で、大切な文書が失われないようにするため、 パウロの手紙などを収集、整理が行われていました。そのなかで、フィレモンへの手紙が話題になりました。 あまりに個人的な手紙であるので教会の文書として残すことにはふさわしくないのではないかという意見がありました。 そのとき、この会議の招集者エフェソ教会の監督が立ち上がり、「皆さん、この手紙ほど主イエス・キリストの贖いを明示している文書はありません」と語りかけました。 こうして、この小さな手紙は聖書に残ったのです。この監督は、立ち上がり、パウロと同じ言葉をもって祈ります。 「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように」。そこにパウロの姿が二重写しになります。そうです。 これが、オネシモの50年後の姿です。そして宣教のために走り回った両足を砕かれて殉教するまで、彼は主のためにオネシモ――役立つ者であり続けました。 まさに恵みです。そのオネシモと同じ恵みが渋沢教会の皆様の「霊と共にあるように」とお祈りして、12年10カ月にわたった私の渋沢教会での働きを終えたいと思います。


祈祷


ご在天の父なる神さま。尊い御名を賛美いたします。 神に支えられて、13年10カ月にわたった渋沢教会での働きを続けることができました。 心から感謝します。オネシモのように神にも渋沢教会の皆様にも「役立つ者」となれなかったことが悔やまれます。しかし、神は、パウロ、フィレモン、 オネシモと同じように主イエス・キリストの恵みによって支えて下さいました。今度の震災のように私たちの人生には、何が起こるか分かりません。 しかし、主イエス・キリストの恵みがあるとき、私たちは恐れることはありません。神は、私たちの人生に最善をなしてくださり、 最終的には神が用意して下さった住まいで休むことができるのです。それまで、主イエス・キリストの恵みによって、 与えられた人生を私たちなりに走りぬくことができるようにお導き下さい。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。