渋沢教会
更新日:2011.6.26

6月19日 御言葉の説教「長男がキレる時」

大井 啓太郎牧師
ルカ福音書15章11〜32節

 

有名な放蕩息子のたとえの後半は、父のもとに残って真面目に働いていた兄の物語です。家に帰ってくると出て行ったはずの弟が戻っており、宴会が始まっていた。 家に入ることができないほど、怒りがこみ上げてきました。しかし、彼の言い分をよくよく聞いてみると、財産を無駄遣いして帰ってきた弟に対して怒っているのではなく、 父親に対してのものでした。私は、あなたに対してこれほど尽くしてきたのに、全く大切にしてくれない。なぜ、弟をもてなすのか。 要するに自分はいつも弟よりも愛されていなかったという不満が一気に爆発してしまったのです。今の言葉で言うところの「キレた」のです。 彼は、父親と一緒に暮らしていましたが、心は遠く離れていたのです。父親の愛を感じることが出来なかったのです。

このような親の愛を巡っての確執があることを兄弟(姉妹)がおられる方でしたら経験されているのではないでしょうか?聖書には、 兄カインが弟のアベルを妬みによって殺したことや、働き者のマルタが妹マリアが一緒に働かないと小言をイエス様に言ったことなどが記されていますから、 兄弟は最初に出会う競争相手なのかもしれません。そして、事実、親が子の優劣を比較する中で、子どもの中に劣等感が生まれ、 傷つき、一生そのことで苦しむ場合もあるのです。

では、そんな兄の言葉に、父親はなんと答えたでしょうか。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。私のものは全部お前のものだ」といいました。 私と一緒にいるということこそ、最大の幸せではないのかと諭すのです。この兄は、この父親の促しで家に入り、弟と和解したでしょうか。 それとも、弟や父親をゆるせずにいたままでしょうか。イエス様のたとえは、そこまで話されません。なぜなら、それはこのたとえを聞く人々の問題にかかっているからです。

教会に当てはめれば、兄とはクリスチャンです。弟とはまだ父なる神様を知らずにいて、この家に向かっている人々です。心から歓迎しましょう。 「あなたはすべてのものを持っている」と父なる神様から愛されているのですから。