渋沢教会
更新日:2011.7.23

7月17日 御言葉の説教「旧約聖書からA〜誘惑されたサムソン」

大井 啓太郎牧師
士師記16:15〜17
エフェソ4:17〜24

 

『サムソンとデリラ』という古いハリウッド映画をご存知でしょうか。映画になるぐらい、サムソンの人生は波乱に満ちた人生でした。 彼が生まれる前、両親に神のみ使いがあらわれ、生まれてくる子どもは、イスラエルを救う先駆者となるから、ナジル人として育てなさいと預言されました。 ナジル人というのは、特別な誓いをたてて、神に従う人々のことです。「太陽の子」という意味をもつサムソンは特別な存在として成長し、 神様も彼に怪力という特別な賜物を与え、まだ、王がいなかったイスラエルにあって「士師」と呼ばれる王と祭司と預言者を併せ持ったようなリーダーに立てられていくのです。

しかし、英雄を扱った物語は、普通は美談のみで悪いことは書かないものですが、旧約聖書は人間の赤裸々な現実を描写します。 聖書には彼が、ナジル人としての死体に触れないなどの誓願を守っていないことが記されています。そして、遊女デリラを愛するようになり、 力の源である髪の毛の秘密を打ち明けてしまい、敵の手に落ちてしまうという、全く神の民イスラエルを導くリーダーとしてはふさわしくない人物なのです。 しかし、神様はそのようなものでも見捨てず、用いられるのです。サムソンは、人生の終わりに、神の名を呼びました。神に人生を委ねたのです。 彼は目が見えず牢屋につながれていましたが、逆に彼の心の目は開かれ、心は自由になり神と共にあったのです。そのようなサムソンに主なる神は、力を与えられたのです。

私たちはこの時代にあって、このサムソンの生きざまから何を学ぶことができるでしょうか。サムソンの場合、女性問題で神様の大切な働きを妨げました。 彼は20年士師として立てられましたが、その問題がなければ、もっと良い働きができたでしょう。今日のもう一つの聖書箇所、新約聖書エフェソの信徒への手紙は、 そのことを私たちにより直接的に語りかけます。人生をよく全うするために性の問題、金銭の問題、プライドの問題、そのことを今一度ご自身に問うてみてください。