渋沢教会
更新日:2011.8.14

8月7日 御言葉の説教「神の国のたとえ@〜良い種 悪い種」

大井 啓太郎牧師
詩編126:1〜6
マタイ13:24〜30 36〜43

 

主イエス様は、神の国を説明されるときに、身近にあるいろいろなものを用いて説明されました。特に共通して「小さい」ということを大事にされている。 何でそんなにイエス様は小さいものにこだわるのでしょうか。それは私たちの持つ価値観をひっくり返そうとされたからです。

種は小さくても成長するための全ての仕組みが備わっている。当たり前ですが、確かに不思議な力が種にはあるのです。 種という字は漢字でのぎへんに重いと書くことも意味あることですが、小さく・取るに足らないと思われていることが実は、神様の目から見れば、 それはとても大切で(この大切というのは大を切ると書きますが)重要なのです。そしてさらに、神の国は、すでに現在進行形の生きた現実であることも、 種というたとえは語っています。イエス様は当時の人々の理解できる形で、天の国や信仰のあり方を、 私たちの生き方の転換・逆転が起こることを種を通してお話しくださったのです。

この「毒麦のたとえ」では、見分けがつかないということと僕(しもべ)たちが「抜き集めておきましょうか」といった言葉がキーワードです。 当初は、喜んで教会に集い、聖書を読んで、クリスチャンとなったとしても、関心をなくしたり、違う教えに心を奪われたりしてしまうということがあります。 また、信仰生活と実際の生活があまりにもかけ離れていて、全く実を結ばないという人もいます。また、逆にそういう人々を見て、 いらだちを覚える真面目なクリスチャンもいるのです。主イエス様は、この両方の姿勢を戒められたのです。信仰を全うすること、心に悪魔を入らせないこと、 それはもちろん大切ですが、同時に裁きたくなる心をも、神様は制されるのです。