渋沢教会
更新日:2011.8.21

8月14日 御言葉の説教「神の国のたとえA〜お宝を見つけたら」

大井 啓太郎牧師
イザヤ33:6
マタイ13:44〜50

 

畑の中に隠された宝がある。それを見つけたら、みなさんはどうなされるでしょうか?この箇所を読むとわたしは思い出す出来事があるのです。 それは、子どもの頃、何気なく庭で土をほじくっていると、きらきらしたダイヤモンドが出てきたのです。驚いて、「お母さん!庭からダイヤモンドが出てきた!」と、 それこそダイヤモンドを掘り当てたと思いました。しかし、ダイヤの形をしたまんまで土に埋まっているはずがありません。 結局、それは母親の指輪からとれた人工ダイヤモンドだと知り、億万長者の夢が「見つけてくれてありがとう」で終わってしまいました。 しかし、あの時の驚き、喜びは忘れることができません。ミロのヴィーナスも、死海写本として有名なクムラン文書も、人里離れた洞窟から偶然発見されました。 それを発見した人の驚きと喜びはどれほどだったでしょう。み言葉にあるように、それが本当に価値あるものと思ったならば、 人はどんなことをしてでも手に入れようとするのです。

宝とは一言でいえば、その人の心や生活を豊かにしてくれるものといえます。心や生活を豊かにしてくれる究極の宝、主イエス様は、 それこそ神の国と私たちに告げているのです。マタイ6:19で、主イエスは「あなた方は地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、 さびついたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さびつくこともなく、また、 盗人が忍び込むことも盗み出すこともない」と言われました。また、「悔い改めよ、天の国は近付いた」(マタ4:17)とある、悔い改めるとは、 生き方の180度の転換を言います。主イエスは私たちの価値観の逆転を迫るのです。

イエス様に全てを捨てて従うことができるだろうか、不安になってしまうこともありますが、捨て去るということは、それに固執しないということです。 神様は、決してその苦労という宝を無にはされないお方です。