渋沢教会
更新日:2011.8.28

8月21日 御言葉の説教「神の国のたとえB〜子どものように」

大井 啓太郎牧師
創世記21:17〜18
マタイ18:1〜5

 

今日の箇所は、こどものようにならなければ、天の国に入れないというのです。しかし実際、子どものようになれるかというと、そう簡単なことではありません。

私も含めて皆さんは、人との競争の中で、頑張って生きてきました。その中で、人一倍努力して達成することの喜びや、競争に負けた悔しさなどを経験しているのです。 私は、テストは嫌いでしたが、順位を見るのは好きでした。特に高校時代は、それこそゲーム感覚で成績を考えていました。将来の夢とか、なりたいことではなく、 ただ順位を上げるために勉強していたように思います。子どものゲームから、貿易をはじめとする社会の仕組みまで何から何まで、 私たちの体には「勝ち負け」をはっきりさせなければならないDNAが染みついているのです。それは時代を超えてイエス様の弟子たちも同じでした。

今日の「こどものように」というイエス様の言葉のきっかけも、弟子たちが「いったい誰が偉いのでしょうか」とイエス様に問うたことがきっかけになっているのです。 マルコやルカには、「自分たちのうち誰が一番偉いかという議論が起きた」と書かれています。弟子たちの間で一番弟子は誰かをイエス様に言ってもらいたくて、 このような質問が生まれたのです。弟子たちは、いつしか一種の権力欲に駆り立てられていたのです。

主イエス様はこのような弟子たちの姿を見て、わざわざ小さい子どもを彼らの前に連れてこさせ、マルコによれば、 その子どもを抱き上げて「心を入れ替えて子どものようにならなければ決して天の国に入ることはできない」とおっしゃったのです。 神の国は、競争して手に入れる物ではない。そのような心はまるまる捨て去らなければ神の国に入ることは決してできないと、主イエスは言われたのです。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と日本の格言にもあります。謙虚に生き、そして弱い人々を受け入れるということが、何より大切なことであり、 教会の未来をも左右するのです。