渋沢教会
更新日:2011.10.1

9月11日 御言葉の説教「神の国のたとえE〜宴が始まる時に」

大井 啓太郎牧師
箴言9:1〜6
マタイ22:1〜14

 

王子の婚宴に王は、招く約束をしていた人々に使いをやって呼ばせるのですが、来ないというのです。怒った王は、軍隊を送ってその人々を町ごと滅ぼしてしまい、 代わりに町の大通りで見かけた人は誰でも連れてこいと命じるのです。そして、多くの人々が連れてこられて、婚宴は盛大に行われたのです。

この王というのは、父なる神です。神様はすでに選んでいた人、ユダヤの選ばれた民を神の国に招こうと、使いを出すのです。 それはバプテスマのヨハネをはじめとする預言者たちであり、御子主イエス・キリストでした。そのような神の使い、神の御子を、 人々は軽くあしらい、そしてついには殺してしまうのです。なぜ、人々は祝いの宴を拒むのでしょうか?聖書ではそれは、 牛や畑に表されている財産であり、この世の幸福だと語ります。人々はそれを守りたいがために、神様の招きを拒んでしまうのです。

王は、連れてこられた人々を謁見しました。その中に礼服を着ていない男を見かけて、問いただしました。 「友よ、なぜ礼服を着ないでここに入ってきたのか?」彼は王の問いに黙っていました。そうすると、王はこの男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せと命じるのです。

ここで私たちは、礼服を持っていなかったのかもと疑問に思うのですが実は、この礼服というのは、貸し与えられるものだというのです。 着の身着のまま来た人でも、王は礼服を貸し与えた。「主は救いの衣を私に着せ、恵みの晴れ着をまとわせて下さる」(イザヤ書61:10)。 救いの衣は、人の力によって得られるものではなく、神様によって用意されているものなのです。

私たちが学ぶべきこと、それは、私たちは神の国の宴に招かれているという事実です。神の用意してくださる救いの衣に、 今までの自分を脱ぎ去って着替えることができる!しかし、神の教えをしっかりと身にまとわないで、 なお自分の生き方にしがみついている人々に対して神様は「なぜ神の国にふさわしい生き方をしないのか?実を結ばないのか?」と問うのです。