渋沢教会
更新日:2011.11.13

10月16日 御言葉の説教「主よ、来て下さいAほーのぼのぼに生きる」

大井 啓太郎牧師
ルカ6:20〜26
イザヤ2:2〜5

 

み言葉から社会の様々な問題を改めて考えていますが、2回目の今日は、「争い」について学びたいと思います。 先週の朝日新聞の朝刊(10/7)に面白い記事が載っていました。それは、「ホーポノポノ」と呼ばれるハワイの伝統的な紛争解決法のことでした。 この「ホーポノポノ」という言葉は、ポリネシア語で「曲がったものをまっすぐに直す」という意味だそうです。このホーポノポノの手法で、 桃太郎の鬼退治の物語を再構成して、平和について考えるというものでした。なぜ対立が起きたのかを探り、 どのような将来を作りたいのか話し合う中で桃太郎と鬼が和解するという、今まで桃太郎が善で、鬼が悪といった旧来の物語とは全く違うストーリーですが、 自分と違うものや、価値観が衝突する時の、「退治する」といった力による解決法ではなく、話し合いによって解決するというのは21世紀にふさわしい、 子どもに伝えるべき物語のように思うのです。

争いには、中立で公平な第三者の存在と、戦いではなく平和を教えてくれる存在が不可欠です。イザヤ書2章4節には、 主が、公平な第三者として国々の争いを裁き、また、我々も戦うことを学ばないと書かれていました。イザヤは、これを世の終わりの幻として見ていますが、 ここには今見てきたように具体的な問題解決が示されています。また、もう一箇所読んでいただいたマタイ福音書18章では、イエス様が、 やはり証人を連れて話し合うこと、それでも言うことを聞き入れなければ、仲間ではなく、異邦人か徴税人と同様にみなすことが書かれていました。 しかし、イエス様はその徴税人や異邦人を愛されたのですから、そのように思っても、愛し続けることに変わりはないのです。争いに対して敵対でもなく、 泣き寝入りでもない、愛をもって誠実に解決する新しい方法があるのです。少なくとも、主イエス・キリストの愛に触れた者は、それまでの生き方が変えられるのです。 「平和があるように」互いの平和を主に祈りあう、確認する、それが教会の交わりの中心です。