渋沢教会
更新日:2011.11.22

10月30日 御言葉の説教「主よ、来てくださいB 病の中で」

大井 啓太郎牧師
詩編38:1〜23
ルカ4:38〜44

 

争い・貧困と社会問題を考えてきたこの月ですが、人間にとって、もっとも恐るべき事柄、それは病気だと思うのです。 私は小さい時、小児ぜんそくを持っていましたので、気温が急激に変わる季節の変わり目になると、決まって発作が起きました。 一晩中、肩で息をしながら呼吸困難な状態で過ごしました。子ども心にこのまま息ができなくなって死んでしまうのではないか、 そんな風にも思いました。病気は人生を変えてしまいます。病気は絆を断ち、人を孤独にします。それまでの予定をすべて台無しにしてしまうのです。 その孤独の究極の形が、死です。誰もが、病気さえなかったらと思い、病気を恐れるのです。そして、一番深刻なこと、 それは神を疑い「神に見捨てられた」と神に失望するということなのです。

石井錦一という牧師は、『祈れない日のために』という本の中でこんな祈りの言葉を書いています。 「神様なぜ人は苦しまねばならないのですか なぜ憎しみを持つのですか なぜ裏切られる痛みがあるのですか なぜ病苦があるのですか なぜ不慮の事故に遭うのですか なぜ私だけがひどい目に遭うのですか」これらの言葉は、人間の真実の叫びだと思うのです。

今日の聖書には、シモン・ペトロの家にイエス様が行き、その姑を癒した記事が記されています。注目したいのは、 イエス様が「一人ひとりに手を置いていやされた」と記されていることです。イエス様は、神の子ですばらしい力をお持ちなのだから、 みんないっぺんに病を治してしまえばいいのに、と思ってしまうのですが、イエス様は「一人ひとり」手を置かれ癒されるのです。 私たちのさまざまな悩み・苦しみをひとつひとつ丁寧に人格的な交わりの中で、癒されるのです。そして何より主が回復したかったもの、 それは、主なる神様との関係の回復だったのです。主イエス様の本当の救いは、「罪」からの解放でした。病は一時のものです。 しかし、神との関係は永遠につながる事柄なのです。