渋沢教会
更新日:2011.12.4

11月13日 御言葉の説教「感謝する心・される心」

大井 啓太郎牧師
詩編107:1〜9
1テサロニケ1:1〜4

 

1節の恵みという言葉と同様に重要な言葉は「結ばれて」という言葉です。「結ばれる」という言葉はギリシャ語で見ると、エンという言葉が使われています。 もともと、これは英語のインと同じで、その意味は、「キリストの内にある」ということです。 人によっては、太い幹のようなイエス様から遠く離れた枝の先が自分であるように思っている方もおられるでしょう。 また、何か、イエス様は私たちの心の外に立っていて、私たちがその心の戸を開けるのを待っておられる、そのように感じる時もある。 しかし、ここで使徒パウロが言おうとした、イエス様と私たちの関係は、もっと大胆なもの、主イエス・キリストの内に、中に私たちがいるという事なのです。 使徒パウロがこの箇所で述べている、「キリストに結ばれて」とは、実に私たち全存在がキリストに許され、キリストの内にあるものとして、語られているのです。 あなたも、私も、キリストのうちに共にあるのです。

次に2節には「感謝して」とあります。アジア州から渡ってきて多くの困難、迫害に遭いながら、伝道した使徒パウロたち。 その実はアジア州のそれにも優るとも劣らない豊かなものでありました。使徒パウロたちはヨーロッパに渡ってから後、多くの苦難の中にあって本当の意味で、 感謝する事ができるようになったのではないでしょうか。自分の力では無くただ神により頼むしかない、祈るしかない状況の中で道が開かれる。 そこに感謝が生まれるのです。「感謝」というギリシア語はエウカリステオーで本来「祈る」という意味です。 そして現代英語ではユーカリストといえば「聖餐」を意味します。この意味の多様性はどうして起きたのでしょうか。 父の愛・キリストの恵みの集約が聖餐に現れ、感謝を持って祈るとすれば、このような言葉の豊かさも理解できるように思います。

また、3節の「労苦」のもとのギリシャ語は激しい労働を意味しています。激しい労働のように人を愛する、私たちは汗して人々を愛しているでしょうか。 親が子を汗して育てるように激しい労働のように、苦労して愛しているだろうか。初めに汗して愛する事を放棄していないだろうか。 そのことをもう一度、主の前で考えたいのです。