渋沢教会
更新日:2011.11.29

11月20日 御言葉の説教「オヤジの愛は・・・ 」

大井 啓太郎牧師
エレミヤ1:4〜10
Tテサロニケ1:5〜10

 

反抗期になり始めた娘との接し方に、苦労しています。尊敬される父親には、どうもなれそうにありません。なぜなら実際の私のだらしない所を見られているからです。 子は親の背中を見て育つと言いますが、一昔前の何も語らないでも尊敬されるという父親と違う所、それは「言葉の重み・行動の重み」ではないかと思うのです。 それはまさに、神の言葉と人の言葉の違い、神の愛と人の愛の違いでもあるのです。

今日の聖書箇所を見ると、口先だけの、言葉だけによるのではなく、使徒パウロたちは力と聖霊と強い確信によって福音を伝えたと記しています。 ここに人の言葉と神の言葉の違いがあるのです。

人の言葉はむなしく、混乱を生じさせます。原発問題がここまで問題になっているのは、原子力発電の必要性以上に、 推進してきた関係機関の言葉と行いの不誠実さにあるのです。テサロニケの信徒の人々は、迫害の中にあっても、パウロを援助し、確かな歩みをしていたのです。

ヨハネ1:4には「言葉のうちに命があった。」とありますが、よい言葉である福音には命がある、その命は人を生かし、また、人を動かすのです。 テサロニケの人々はこのよい知らせによって新たな命を得たのでありました。このことが、力が働いている言葉という意味なのです。

私たちはこのような信仰の戦いを闘い抜いた人々の福音を手にしている。彼らはマケドニア、アカイアの信徒の模範であるばかりでなく、 私たち全ての信仰者の模範です。私たちは彼らから手渡された、多くの迫害によって血に染まっている福音を、信仰を受け継ぐものです。 私たちはそのような人々に倣い信仰を成長させる必要がある。個人の信仰の深い・浅いが問題ではないのです。 使徒14:22には苦難のない信仰がないことが記されています。だれもが苦難を経験し、そして、それが主の御名のための苦難である時、 主は私たちを優しくその御手に招いて下さるのです。