渋沢教会
更新日:2012.2.12

12月11日 御言葉の説教「待降節B ヨセフの悩み」

大井 啓太郎牧師
申命記24:1〜4
マタイ1:18〜25

 

ここに、悩める男性が一人いました。彼は、婚約をしていましたが婚約者から、身に覚えのない妊娠の事実を知らされました。 社会的にそれは、許されがたいことであり、愛していた婚約者を信じることができない苦しさも、味わっていました。 この人こそ、今日の聖書の主人公、主イエス・キリストの父親ヨセフその人です。

19節には「縁を切ろうと」とあります。ユダヤの律法では婚約中の不貞は死罪でした(申命記22:22-,24:1)が、マリアを愛していた彼は公にすることなく、 密かに離縁しようとしました。それが彼ができる精一杯の愛情だったのです。

しかし、その前に天使が夢に現れて、「ダビデの子、ヨセフ、その子は約束された神の子だから、おそれず妻に迎えよ」と、聞かされるのです。最初はたぶん、 「まさか」とおもったと思うのです。自分は確かにダビデの子孫だけど、まさか大工の自分にそんな大それたことが起こるはずはないと思ったに違いありません。 しかし、「ダビデの子ヨセフ」という天使の呼びかけにヨセフは、自分が何者であるかを再認識したのです。ダビデの子、 それは預言者によって救い主が生まれるとされた家系でした。救い主がお生まれになる!彼は純粋に信じたのです。信じるほかなかったのです。 彼は婚約者の妊娠によって様々な噂が広がるであろう事も、潔く引き受け、人口調査のために故郷ベツレヘムに彼女を守りながら旅をするのです。 不思議と聖書には一言も彼の言葉は出てきません。しかし、この無言の中に、彼の誠実な信仰が見えるように思うのです。 多くを語らず黙々と仕事をする高倉健みたいなヨセフを見るのです。私たちはヨセフの実直で、勤勉な姿を見る思いがするのです。 主イエス・キリストはこの父から、多くの正しい事を学んだはずです。確かに、ヨセフは救い主であるキリストの父ではありませんでした。 しかし、間違いなく、人としてのイエスの父だったのです。