渋沢教会
更新日:2012.2.15

12月25日 御言葉の説教「メリークリスマス!」

大井 啓太郎牧師
ミカ5:1
ルカ2:1〜12

1. 序 挨拶


おはようございます。今朝も寒い朝でしたが、雲ひとつない気持ちの良い朝を迎えました。昨夜は木下理恵子先生を招いて燭火礼拝をすることができました。 「恐れるな、良い知らせです」という題で、クリスマス・イブにふさわしいメッセージで良かったのですが、しかし、私の心の中は、実は直前まで、 ペンライトの確認をしたり、木下先生を迎えに行かねばならず、打ち合わせが十分できなかったりと、ひやひやしていました。無事に終わってホッとしています。 来年は、今年の反省を踏まえて、さらによい燭火礼拝になるよう、準備していきたいと思います。


それでは、今朝は正真正銘クリスマスですから、お近くの方と「メリークリスマス」と握手をもってご挨拶ください。


2.今年最後の礼拝・クリスマスの思い


さて、私たちは、クリスマス礼拝であり、同時に2012年最後の礼拝を守っているわけですが、今年は、誰もが経験しなかった東日本大地震と、 原子力発電所の事故という未曾有の災害で、私たちの誰もが、自分自身の生き方を問われたように思います。今、お互いメリー・クリスマスと、 主のご降誕を喜ぶ挨拶をいたしましたが、脳裏から、あの出来事が離れず、心から喜べないような思いになっておられた方もいると思うのです。


ある者は、津波が押し寄せる生中継の映像を見ながら、自分の無力さと、もし自分がこの場にいたならと考え、ある者は、帰宅困難者となり、動かぬ電車を横に見て、 徒歩で家に向かう中で考え、ある者は、つながらない電話の前で孤独の中で、ある者は、カップめんなどの食料品が極端に少なくなったスーパーで考えました。 きっと、共通していたのは「今まで普通に生き、暮らしていたが、それは決して永遠のものでも、確実なものでもない」ということだったと思うのです。 私は10月にボランティアに行って、土台だけが、そこに家があったことを証明し、あとは雑草が生い茂っているその土地を実際に見て、更にその思いが深まりました。 私たちが受けた心の衝撃は、津波とは逆に多くの整理できない課題を残したのです。この処分できない心のがれきは、たぶん一生処理できないのではないでしょうか。 しかし、同時に私は7月に香港に行き、多くの方が日本のために祈って下さっていることにも接してきました。また、先のボランティアでも、 海外からこのために休みをとり、無給で働いて下さっている兄弟姉妹と接することができました。本当に「絆」のありがたさを知りました。 このつらさを理解してくれる人がいてくれる。2コリ10:13「あなた方を襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。 神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせるようなことはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、 逃れる道をも備えていてくださいます。」とありますが、主なる神様は、私たちの心の中のがれきが、残ったままだとしても、共にいてくださり、 生きる力を与えてくださるのです。その存在こそ、主イエス・キリストなのです。主の別の呼び名であるインマヌエルとは、「主、我らと共にいます」ですから、 私たちは、心から「メリークリスマス!」と叫ぶことができますし、叫ぶべきなのです。


3.聖書から


この救い主イエス・キリストは、約2000年前、ローマ帝国が世界の覇者であった頃、この世界に誕生しました。この出来事はまさに、人類史上最も有名な誕生であり、 これほど、後の人々に、私や、皆さんを含む人々に、影響を与え続けている、誕生はありません。ある信仰者はイエスの誕生こそ、「時の中心」であると著しましたし、 イエスの誕生こそ、旧約の預言者が預言した、暗闇に輝く光と告白したのです。しかし、この出来事は当時としては全く捨て置かれた惨めなものだったのです。 当時はパックス・ロマーナ(ローマの平和)と呼ばれた、ローマ帝国の最盛期でありました。 人や物は「全ての道はローマに通じる」といわれるほど整備された道路によって移動し、ローマ兵は最強と歌われました。 救い主など、一見必要のない時代に、主イエス・キリストはお生まれになった。どうして、2000年前のあの時にあの普通の人々、 ヨセフとマリアの間にお生まれになったのでしょうか。


先程読んでいただきました、ルカによる福音書2章は、クリスマスには必ず読まれる聖書箇所です。そしてこの箇所は、 イエス・キリストの誕生がこの世の現実社会で起きたことを述べる所から始めています。その時代、ユダヤはローマ帝国の属州でありました。 皇帝アウグストスは「ブルータスおまえもか」で有名なユリウス・シーザーの姪の息子でシーザーの養子となった人物です。 このアウグストスの名前の意味は「神聖な」とか「おそれおおい」という意味で太陽の光に関係した、まさに異教的な名前でした。 彼は自分の業績35のうちの8番目に「人口調査」を挙げるほど、人口調査を徹底して行い、帝国を治めました。一見帝国は安定しているかのようでした。 しかし、ローマ帝国の平和は、近接する諸国家・諸民族を侵略して得た、偽物の平和、自己中心的な平和でありました。 まさに力が全て、権力が全ての時代であったのです。そこに、御子イエス・キリストは本当の平和をもたらすために全く無力な乳飲み子として、 全く力ない被征服民の大工の息子としてこの世にやって来たのです。


そしてまた、人間の世界が彼に全く不釣合だと言う事は彼を迎え入れる部屋すらなかったことからも明かなのです。 6節,7節にあるようにマリアは衛生環境もへったくれもない家畜小屋で男の子を生みました。マリアは初産でありましたからきっととても痛かったのではないでしょうか。 子どもが与えられた時、妻の出産の苦しむ姿を見てからは、そんな事を考えずにはおれないのです。そして、聖書には書いてありませんが、 赤子のイエス・キリストは大きな声でこの世に生まれ出たのではないでしょうか。その最初の産声は私たちの希望の産声となりました。 この産声は人類の祖である、アダムから始まった罪を清めるために、あの偽物の平和の中に突入して下さった希望の産声、救いの産声となりました。


なぜそうまでして、主は来られたのか。それは私やあなたのために来られたのです。神の愛が、独り子という目に見える、確かなものとなって、 やって来られたのです。…しかし、残念ながら、その頃の世界と今では文明の進歩の差こそあれ、人間の本質は何等変わっていません。 苦しみ・悲しみ・妬み、特に、神を認めない自己中心的な生き方がこの世界を支配しているのです。今私たちも、全く不確実な、 いつ崩れ去るか分からない毎日を過ごしています。日本という国が、そして世界が、政治も経済も、そして、愛も上辺だけ取り繕った偽物が幅を利かせている。


4.結 だからこそ


しかし、このような人々の嘆きの時にこそ、神はご自身の力、本当の愛を示されるのです。闇が深ければ深いほど、光は輝きを増すのです。 主イエスは、宿屋ではなく、家畜小屋で生まれました。それは、人間が彼を受け入れなかっただけでなく、主ご自身がそのことを望まれたのです。 そのような人間の悲惨な状況に主が立たれるためにです。家を失い、寒さ厳しい仮設住宅で生活している人々の辛さを主は知っておられます。 日々の糧を得ることが、いかに難しいか、主は知っておられます。病の苦しみを主は知っておられます。そして、この変わらぬ確かな光を私たちは知っています。 私たちは確かな光に向かって進んでいます。時には少しずれてしまうことがあったとしても、混沌を生き抜く羅針盤を私たちは持っているのです。 一つの2000年間変わらずに輝き続けた光を私たちは信じているのです。どうか、このクリスマス、貴方のために、私のために、 そして全世界の救いのためにお生まれになった主イエス・キリストの産声をあなたの心の耳で、聞いて下さい。最後にもう一度ご一緒に「メリークリスマス!」と言いましょう。