渋沢教会
更新日:2012.2.16

1月1日 御言葉の説教「新しい命に生きる」

大井 啓太郎牧師
エゼキエル18:30〜32
ローマ6:4

 

昨年この国は、苦難の1年でした。東日本大震災、原発事故、世界規模の金融不安…、 手塚治の『鉄腕アトム』のような子どもたちがわくわくするような明るい未来像を今の社会は、なかなか描けないのが実際のところではないでしょうか。

使徒パウロが、このローマの信徒の手紙を書いた時代もまた、ローマ帝国が地中海世界を支配し、享楽と暴力が全てのような時代でした。 パウロは、ローマ市民権を持ち、熱心なユダヤ教徒でした。いわば、上流家庭のエリートでした。彼には何不自由のない生活が約束されていましたが、 彼は、復活の主イエスと出会い、目が見えなくなってしまうのです。しかし、その時、クリスチャンに助けられ、今まで彼はクリスチャンを、 迫害する側にいたのですが、まさに目から鱗がとれると同時に心の鎧も取り去られ、洗礼を受けキリストを伝える者へと変えられました。 彼は、その後、多くの迫害や困難に直面するのですが、異邦人の使徒と呼ばれるほど、キリストの福音をつたえるものとなり、 2000年後に生きている私たちも、彼の名前を記憶しているのです。彼は、目の前にあったそれまでの生き方や命ではなく、 キリストと出会い、新たにされたことによって、本当の喜びを知りました。それが、「新しい命」ということなのです。使徒パウロは、 新しい命を実感して生きたのです。

明治期に生きた山内量平という方は、造り酒屋を営み、裕福で、土地の神社の神主もしているような家でした。 しかし、カンバーランド長老教会のヘール宣教師によって、福音が伝えられました。彼は、最初その家柄もあり、全く興味を示さずにいましたが、 しかし、内心悩みを抱えていました。そのような中、妹が洗礼を受け、友人から説得されついに、洗礼を受けたのです。彼は九州で牧師となりました。 和歌山でくすぶっていた命が、キリストとの出会いによって大きく変えられたのです。新しい命は、先が見えないような時代や状況にあっても、 私たちに生きる力を与えるものなのです。