渋沢教会
更新日:2012.2.20

1月29日 御言葉の説教「信仰に必要なもの」

大井 啓太郎牧師
詩編24:3〜6
テサロニケ1 3:6〜13

 

現代ほど、終末を感じる時代もないのではないでしょうか。大気汚染による地球の温暖化、海面上昇、時代の変動、人口爆発、資源の枯渇、 世界規模の政治の不安定、犯罪の増加、遺伝子組み替え、など、私たちの世界は微妙なバランスの中で安定を保っていますが、 確かに少しずつ悪い方へ傾いているのも事実なのです。原発問題も、実は人間の営みへの大いなる警鐘に他なりません。 このような時代だからこそ、多くの人々が、時代の終りを感じるのです。旧約聖書には神の前に傲慢であった、バベルの人々や、 ソドムとゴモラの人々が滅んだことを記していますが、今日、主なる神様から治めよと託されたこの自然を豊かにすること無く、 ただ浪費するなら、何よりも神様の前に傲慢であり続けるなら、主イエス・キリストが自らの血によって贖って下さった私たちの罪の赦しは、 無に帰してしまうのです。マルコ13章でいわれているような、終りの日の苦難が、その期間を縮められる事なく、私たちに及ぶのです。 私たちは主と共に歩むことを喜びつつ、主が再び来る時、この世界は、大いなる苦難を経験する事を知らなければなりません。 ソドムとゴモラのために、アブラハムが祈ったような執り成しの祈りを、私たちは地の塩・世の光として神様に捧げなければならないのです。

しかし、キリスト教において、終末は恐ろしいばかりではなく、キリストが再び来られるという意味で、希望の時でもあるのです。 ウィリアム・バークレーという神学者は現代のキリスト教信仰は、この再臨という教えを全く無視して、滅多に説教などもしないでいるか、 逆に再臨ばかり強調している、と述べています。また大切なことはバランスある信仰だ。とも述べているのです。主イエスを信じる心と、 冷静な判断力が大事なのです。私たちもまた、主イエス様が再び来る日を待ち望みつつ、与えられた命を精一杯生きましょう。