渋沢教会
更新日:2012.5.13

2月26日 御言葉の説教「滅び、しかし望み」

大井 啓太郎牧師
ダニエル書2:1〜13
テサロニケ1 5:1〜11

 

テサロニケの信徒への手紙1も最後の5章になりました。前回の4章13節以下の御言葉から聞いたように、使徒パウロは引き続き、 主が再び来て下さるという希望についてテサロニケの人々に述べています。この教えはイエス様がマタイ・マルコ福音書の中で「その日、その時はだれも知らない。 天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」といわれているだけなので、それがいつなのか、使徒たちを含めた、多く人々の関心でありました。 前回も申し上げましたが、もうすぐにその日がやってくると思って、日常生活をないがしろにしてしまう人が現れるほど、身近に感じていたのです。 新約聖書で一番古い文書とされる、このテサロニケの信徒への手紙にすでに見られることからも、この問いは、最初期からのものでした。 古代から現代にかけて、異端とされたキリスト教の群れの中には、この再臨がいついつであると啓示を受けたといって、 人々を不安に駆り立てた教派もありましたし、聖書の記述を勝手な解釈を施して、この時であるとした教派、 自分が再臨のメシアだと名乗るものによって作られた教派、そして、聖書を研究している神学者の中にも、 2節の「主の日」がいつ起こるのかを探求しているものもいる。父のみ心を知る、それは私たちの願い求めるべきことではありますが、 それが、利己的な欲求に基づくもので有る限り、御心は知ることができない。そして、すでに真理は聖書に書かれているのであります。 (使徒1:7)父が権威を持って定めた時や時期は知ることができない、これが真理なのです。 私たちはいつ、どこで、 どのように、終りが来るのか知りたいし、また、そのことをはっきりと言ってくれるほうが、安心もする。しかし聖書は、 私たちが陥りがちなこのような誤った考えを明らかに否定されるのです。神様が定めたその「時」は必ず起こります。 少なくとも、私たちは「死」という地上の命の滅びを経験しなければなりません。しかし、それがすべてではないことを私たちは知っているのです。 悲しみは、喜びに変わり、痛みは癒される。滅びは新しい命への希望なのです。