渋沢教会
更新日:2013.12.19

12月8日 御言葉の説教「待降節A御子イエスの使命」

大井 啓太郎牧師
イザヤ61:1-11
ヨハネ3:16-21

挨拶


おはようございます。待降節、アドヴェント第2主日を迎えました。今日は午後から子どもクリスマスがありますが、 少しでも地域の子どもたちに来てもらいたいと、昨年に続き月曜日から金曜日まで、駐車場の入り口で、 サンタクロースの衣装を着て、ゲームとチラシ配りをしました。昨年6年生だった子が中学生になっても立ち寄ってくれたり、 3年続けてきて、顔見知りも増えてきたのですが、一方で、不審者と間違われて親が確認に来たりして、少しがっかりしました。 しかし、だからこそ毎年続けていくことが大切だと思わされました。今年は秋田兄が手伝ってくれたので大助かりでした。 女性がいると、不審者がられる確率が少なくなるので、是非来年はお助け下さい。


それでは、いつものように、お近くの方と主のみ前に集うことができたことを感謝して、「あなたに平和があるように」 という意味の「シャローム」「エイレーネー」「エレーネー」とご挨拶しましょう。どうぞ。


1.キリストの使命


さて、今年のアドベントは、主イエスの言葉から、クリスマスの意味を心に味わいたいと思いますが、 今日読んでいただいた旧約聖書イザヤ書61章は先週の礼拝の中で取り上げました。主イエス様が会堂で聖書朗読をした時に この預言の言葉が成就したと語り、人々は、驚き、ついにはイエス様を崖から突き落として殺そうとまでしました。 自分たちの益にならないと知ったからです。


そして、ヨハネ福音書3章16節は、福音中の福音と呼ばれる大変有名な箇所ですが、私は今になってこのヨハネ福音書の言葉が よくわかるようになってきました。というのも、私の子どもは今高校1年と中学2年なのですが、 父親である私と過ごす時間というのがめっきり少なくなりました。どこの家もだいたいそうだと思うのですが、 部活や塾などで家にいないのです。私は子どもと遊ぶのが好きなものですから、どうにもつまらないのです。 ですから、R君やHちゃんと遊ぶのは全然苦ではないのですが、児童福祉を学んできたこともあり、子どもには、 本当に幸せになってほしいと心から思うのです。ですから、あれやこれや、考えるわけですが、 子どもにしてみれば面倒くさいこともあるわけです。月曜日、駐車場前で子どもが帰ってくるのを待っていたら 、中学生か高校生がたばこを吸って歩いていた。「体に悪いよ」といいましたが、「はーい」と軽く返事をされただけでした。 今度又吸っているのを見かけたら、もう少し話しをしようと思っていますが、大人の言う事など、あまり本気にしてくれないのです。 本気にさせるには、そうとうこちらも本気で行かなければならないでしょう。まさに神様が、人をお救いになるわざというのも、 全能だから、万能だから何でも簡単にしてしまうのではなく、全く神様のほうに心を向けない愚かな人間に対して、 それでも、愛するがゆえに無理をされた。それが御子の十字架という贖いにつながったのです。親が子を思う気持ち、 おじいちゃんが孫にたいして、怪獣ごっこでわざと負ける気持ち、これらはすべて、愛から来ていることです。 主なる神様は、人を愛するがゆえに一番簡単な方法で、神の国への道を示されました。それは、「信じる」ということです。 大人でも子供でも、力があるものでもないものでも、等しく開かれていること、それが信じるということです。イエス様を信じる、 それだけが永遠の命を得る唯一の方法なのです。日本語で信じるという漢字は、人と言葉がくっついていますが、英語で信じる、 ビリーブは、あるという意味のビと生きるという意味のリブがくっついている。 ただ生きているだけ、難しい、苦しい修行や、高度な知識、家系、裕福さなど全く関係ないのです。 神様は、できるだけ公平に誰でも神の国が得られるようにされているのです。


しかし、だからこそ難しいのかもしれません。私たちは自分の能力に頼っていきています。競争社会において人と競って、 自分の立ち位置を確認してきたのです。そのようなものではなく、 ただイエス様を信じるだけで良いと言われても実感に乏しく感じてしまうのです。 目に見えるもの誘惑、これが悪魔の力です。悪魔は、少しずつ私たちの視線を神様でない物や事柄に向けさせるのです。


自分の能力や容姿、富、権力、名声…イエス様の愛よりも、衝撃的で実感できるものによって人は神様から離されていく。 ヨハネ福音書はこのことがすでに裁きであると語ります。しかし、あの放蕩息子のたとえに出てくる息子のように、 本当に何もなくしてしまった時に、「ただ信じるだけで良い」としてくださった神の愛が分かるのではないでしょうか。


2.適用


20節「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。」 のこの言葉は、これから日本が進む道を示しているかのようです。秘密を誰にも触れさせないようにする。 火曜日の牧師会の後に国会議事堂に独りで行きましたが、私たちは本当にこの国のために祈っていかなければなりません。