渋沢教会
更新日:2013.12.31

12月22日 御言葉の説教「希望が生まれた」

大井 啓太郎牧師
詩編147:1〜15
ルカ2:8〜20

 

 羊飼いというのは、羊の番をしなければならないということで、安息日を守らなかったり、 羊のお産を助けて、血で穢(けが)れたりと、厳格に律法を守っている律法学者たちからすれば、罪人でありました。 また、貧しさゆえに、ローマ帝国が行っていた人口調査が行われていても、彼らは全く蚊帳の外に置かれていたのです。 ですから彼らは、いつもどおり羊の番をしていました。

 そこに天使が現れるのです。天使は「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」と言いました。 貧しい者から豊かな者まで、また、子どもから年寄りまで、ユダヤ人だけでなく、世界の国々の民に至る全人類にとっての 救い主が、ダビデの町でお生まれになったと、天使は告げたのでした。 彼らはベツレヘムに行き、そこで天使の言葉通りに家畜小屋にいた、生まれたての赤ん坊を目にしました。 貧しい彼らでも家畜小屋で、人がお産をするというようなことは聞いたことがなかった。 この出来事を、彼らは人々に知らせます。しかし、彼らのような者の言葉を聞く人は少なかったのです。 世界を救う救い主が、家畜小屋で生まれはずはない。そのように思って一笑に付すのが関の山だったのです。

 天使がなぜ、羊飼いの所に現れたのか?もっと町の人々が分かるような仕方で、御子の誕生を告げ知らせれば、 良かったのではないか?わたしはそのように思っていました。しかし、人々は待ち望んでいなかったのです。 神は心から待ち望んでいた人々の前に現れたのです。今、私たちは年末で忙しくしています。 忙しいという字は心を亡ぼすと書きます。夜空を見上げることもなく、ただ精一杯目の前のことに追われている。 そのような生活をしていると、心には神様が語りかけるスペースがなくなってしまうのです。 イエス様がお生まれになった時、宿屋に彼らがいる場所がなかったように。今私たちも町の人か、 羊飼いであるのかを問われていると思います。この世の富を追い求め、忙しさの中で心を亡ぼしていないか、と。