渋沢教会
更新日:2013.12.31

12月22日 御言葉の説教「希望が生まれた」

大井 啓太郎牧師
詩編147:1-15
ルカ2:8-20

挨拶


 おはようございます。そしてクリスマスおめでとうございます。 主イエス様のご降誕を愛する皆様と迎えることができることを本当に嬉しく思います。 先ほど子どもたちと挨拶を交わしましたがいつもですと「平和があるように」という意味の「シャローム」、 ギリシャ語では「エイレーネー」と挨拶していただくのですが、今日はクリスマスを祝う礼拝ですので 「メリークリスマス」と言って、いつもの倍の人と握手でご挨拶ください。それではどうぞ。


1.輪か倫か


 さて、先日今年を表す漢字として「輪」が選ばれました。2020年の東京オリンピック招致や、 台風や竜巻災害に対する支援の輪ということで、選ばれましたが、その立役者の一人の猪瀬東京都知事は、 こちらの輪(お金)で辞任に追い込まれました。しどろもどろの、どんどんつじつまが合わなくなる答弁を聞いて、 彼に投票した有権者はさぞ失望したと思います。都知事選過去最高の433万人の信頼をたった1年で裏切ってしまったのです。 ニュースを見るたびに、私も憤慨していたのですが、しかし、考えてみたのです。 もし、誰かが私に5000万円を返しても返さなくてもいいから、自由に使ってくださいと言われたら、 そうそう要りませんとは言えないだろうし、その人からちょっと便宜を図ってほしいんだけれどと言われたら、 私にできることでしたら、と同じようなことをしてしまうのではないかと思ったのです。 自分だったら100分の1の50万円でも危ない。皆さんだったらどうでしょうか? 自分は絶対、そんなお金は受け取らないと言い切れるでしょうか。権力を持てば、そのような誘惑は、 いろいろな形で訪れるでしょう。イエス様が「ラクダが針の穴を通るよりも金持ちが天の国に入ることは難しい」 といった点もまさにそこにあります。誰もが、権力やお金の誘惑で、人生を棒に振る可能性があるのです。 そのような誘惑に遭わない一番の方法は、慎ましく自分の身の丈に合った生活をするということです。 そして、主なる神様に希望をおくということです。


2.聖書から


 今日読んでいただいた聖書には、羊飼いが出てきます。羊飼いというのは、当時としては一般的な職業でありましたが、 羊の番をしなければならないということで、安息日を守らなかったり、羊のお産を助けて、血でけがれたりと、 厳格に律法を守っている律法学者たちからすれば、罪びとでありました。また、このとき、ローマ帝国の命令で、 税金を集めるために人口調査が行われていて、自分の故郷に帰らねばならなかったのです。 ヨセフもマリアと共に生まれ故郷のベツレヘムに向かったと2:1-に記されています。 しかし、羊飼いの生活は、町の人々からすれば貧しいものでした。彼らは全く蚊帳の外に置かれていた人たちであります。 羊飼いから税金をとってもしょうがないぐらい貧しかったのです。


 ですから彼らは、町の人々が、そのような状況の中でも、いつもどおり、羊の番をしていました。


そこに天使が現れるのです。10節以下。「」それは羊飼いたちが今までみたことがないような光景が夜空に広がったのでは ないでしょうか。  天使は「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」といいました。民全体というのは、すなわち、 貧しい者から豊かなものまで、また、子どもから年寄りまで、ユダヤ人だけでなく、世界の国々の民に至るまでという意味です。 全人類にとっての救い主が、ダビデの町でお生まれになったと、天使は告げたのでした。 ダビデの町というのは、サムエル記上16:1にありますが、その昔、ユダヤの王ダビデが育ち、 王として認められたベツレヘムという小さな町を指していました。


 彼らは、ベツレヘムに行き、そこで天使の言葉通りに家畜小屋にいた、生まれたての赤ん坊を目にしました。 貧しい彼らでも、家畜小屋で、人がお産をするというようなことは聞いたことがなかった。 天使の言葉が、実際に起きたことであった事を、彼らは人々に知らせます。 しかし、彼らのような者の言葉を聞く人は少なかったのです。世界を救う救い主が、家畜小屋で生まれはずはない。 そのように思って一笑にふすのが関の山だったのです。


 天使がなぜ、羊飼いの所に現れたのか?もっと町の人々が分かるような仕方で、御子の誕生を告げ知らせれば、 よかったのではないか?わたしはそのように思っていました。しかし、人々は待ち望んでいなかったのです。 神は心から待ち望んでいた人々の前に現れたのです。

 今、私たちは年末で忙しくしています。忙しいという字は心を亡ぼすと書きます。夜空を見上げることもなく、 ただ精一杯目の前のことに追われている。そのような生活をしていると、 心には神様が語りかけるスペースがなくなってしまうのです。 イエス様がお生まれになった時、宿屋に彼らがいる場所がなかったように。 きっと、町の人々も、夜空に目をやれば、天使たちの姿を見出したはずです。 しかし、実際に羊飼いと、東の国の学者だけが、夜空に起きた出来事を知ったのでした。


3.適用


 今日与えられたみ言葉は、いろいろな意味で私たちが町の人か、それとも羊飼いであるのかを問われていると思います。 この世の富を追い求め、忙しさの中で心を亡ぼしていないか、と。

 私たちも又、夜空を見上げた羊飼いや東の国の学者たちのように、心の目を高く上げ、希望の誕生を祝いたいと思うのです。