渋沢教会
更新日:2014.1.25

1月12日 御言葉の説教「サラの葬り」

大井 啓太郎牧師
創世記23:1〜20
Tペトロ3:1〜7

 

 アブラハムの信仰の旅も終盤に差し掛かりました。彼の旅人生にはいろいろな事が起こりましたが、今、 まさに人生最大の悲しみが彼を襲いました。妻サラの死です。アブラハムの約束の地を目指しての旅は神様の導きでありますが、 サラという妻が支えたからできたことなのです。彼がどれほど妻を愛していたか。ハガルとイシュマエルの事については、 サラは鬼嫁のような振舞いをしますが、それでもアブラハムはサラの思いを第一優先として対処してきたのでした。 しかし、いくら長寿でも死という別れは避けることができません。伴侶の死、それは否が応でも、 自分の命をも見つめなおす時となるのです。後の子孫のために今すべきこと、それが何であるのかを、悲 しみの中で彼は考えていたのです。

 アブラハムは、悲しみから立ち上がり、サラに対する最善を尽くそうとします。 それは、墓を建てるということでした。アブラハムは寄留していたヘトの人々に、 妻を葬るために土地を譲ってほしいと申し出ました。それに対し、ヘトの人々は、 アブラハムに対して「神に選ばれた方」と最大の賛辞とともに、 自分たちの墓のどこででも葬ってよいと墓地を使用する許可をしました。 しかし、アブラハムはヘトの人々の墓地にただ葬るのではなく、新たに墓を建てる場所を願い出ました。 それがエフロンという人物が所有していたマクペラの洞窟だったのです。 その場所は、神が人の姿をとってイサクの誕生を預言したマムレの木のそば、サラがその言葉に笑った思い出の場所、 生きた証しの場所でした。アブラハムは誰からも文句が出ないように、値引き交渉をせずに人々の前で、 しっかりと土地を買い取ったのです。こうして彼は神が約束された土地を手に入れたのでした。

 私たちは、アブラハム同様、天の国を目指す寄留の民です。その旅の中で、教会という場所で神に出会い、 この場所で、私たちは神と共に生きている。私たちは、ここで死に、愛する人々に見送られて、天国に旅立つのです。 骨を納めるだけなら高価なお墓などいりません。教会があるということ、教会で生きること、 それこそ私たちの生きた永遠の証しになるのです。