渋沢教会
更新日:2014.2.8

1月26日 御言葉の説教「イサクの花嫁」

大井 啓太郎牧師
創世記24:50-67
ヘブライ 11:1

挨拶


 おはようございます。今朝は少し暖かい朝を迎えました。それを見越してか、庭の水仙が咲きだしました。 子どもたちにも言いましたが、草木は寒い冬の間、春に備えて、土の中で我慢をしています。 そして暖かい春に一斉に花咲かせるのです。枯れたように見えてもちゃんと命をつないでいるのです。 私たちの本当の命の始まりも、なくなったかのようなところから始まるのです。 そのためにも、今信仰の栄養をつけておかなければなりません。


 それでは、いつものように、お近くの方と主のみ前に集うことができたことを感謝して、 「あなたに平和があるように」という意味の「シャローム」「エイレーネー」「エレーネー」とご挨拶しましょう。 どうぞ。


1.僕ぇの続きから 試験結果


 さて、先週は、24:17まで読んでエリエゼルと思われる僕の前にリベカが現れ、僕が「水がめの水を少し飲ませてください」 と頼んだところまでをみてまいりました。今週はリベカを中心に見て行きたいと思いますが、彼女は快く、 「どうぞ、お飲み下さい。らくだにも水を汲んで来て、たっぷり飲ませてあげましょう。」とエリエゼルだけでなく、 従者や10頭ものらくだに水を汲んで飲ませてくれたのです。前にもお話しした通り、中東地方の井戸というのは、 日本のそれと違って湧き口まで人が降りて行って水がめに汲んだ後、頭の上に載せて上がってこなければなりませんでした。 ですから、水汲みの作業は、大変な重労働だったのです。 普通の人でしたら、見ず知らずの人にここまで親切にはできないのです。 しかし、エリエゼルはあえて、そのような親切心に富んだ女性を願い求めたのです。 そして、リベカは見事にその僕の祈りどおりの女性だったのです。 らくだに水をやる姿をじっと見ていたエリエゼルですが、彼は彼女が、 アブラハムの一族かどうかを確かめなければなりませんでした。 何より、主人アブラハムの願いとしては、こちらのほうが重要だったからです。 エリエゼルの問いかけにリベカは「ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です」と答えました。 ナホルとは、アブラハムの弟の名前です。僕は、思わずひざまずいて主を伏し拝み、 「主人アブラハムの神、主はたたえられますように。主の慈しみとまことは私の主人を離れず、主は私の旅路を導き、 主人の一族の家にたどり着かせて下さいました」と祈りました。これぞ、神様の奇しきみわざです。 エリエゼルは、リベカに金の鼻輪と腕輪を贈り、泊らせてもらいたいと告げると、リベカは急いで家に帰り、 客人が来ることを告げました。迎えに出てきたのは、兄のラバンでした。 実は今日読んでいただいた50節には「ラバンとベトエルは答えた」とあり、 リベカの父ベトエルがいるように書かれていますが、前後を読みますと、他の所は「兄と母」しか登場しないのです。 ベトエルは既に死んだか、もしくはすでに物事の判断ができなくなっていたようなのです。


 そのようなことで、兄のラバンがエリエゼルの旅の目的を聞くことになるのですが、そのことが書かれているのが、 34節から49節なのです。エリエゼルは自分の話を終え、ラバンにすべてをゆだねたのです。


2.ラバンの反応と僕


 ラバンはその話を聞いて、主なる神の導きを知り、「どうぞお連れください。ご主人のご子息の妻となさってください。」 と結婚を認めました。エリエゼルは、高価な贈り物をラバンと母ミルカに贈って一晩過ごしました。 そして、あくる朝エリエゼルは、もう帰らせて下さいというのです。これには、ラバンもミルカも驚いたことでしょう。 昨日、結婚の話がでて、確かに認めはしたが、いろいろな準備もあるし何より家族が離れ離れになるのです。 別れがさびしい。55節にあるように10日ほど待ってほしいというラバンたちの気持ちはよくわかるのです。


 しかし、エリエゼルは、一日も早くアブラハムにこのことを伝えたいと願っていました。 ここでラバンらは、当事者であるリベカに決めさせようとしました。 リベカもきっとすぐに行くなどということは言わないだろう、家族との最後の時間をもちたいに違いない、 そのような思いもあったと思います。


3.リベカ


 しかし、リベカは違っていました。58節「お前はこの人と一緒に行きますか」という問いに迷うことなく、 「はい、参ります」と答えたのでした。どんな相手か分からない、どんな生活になるかも分からないにもかかわらず、 彼女は家族を残し、旅立つことを決心します。もう引き留めることもできず、ラバンらは、リベカを祝福し、 エリエゼルが連れてきたらくだにリベカと侍女をのせて帰ったのです。


4.イサク


 長い旅の末、リベカたちはカナンの地に着きました。そして最初に見たのは夫となるイサクの姿でした。 63節では彼は散策をしていたとありますが、いくつかの英語の訳では、黙想をしていたとありました。 母を亡くし、孤独を感じていたのかもしれません。そこに美しい娘が現れたのです。僕はイサクに事の次第を話しました。 それを聞いて、イサクはリベカを母サラが使っていた天幕に案内して、もてなしたのです。 これは正式に妻とする証しでありました。


5.私たちへの適用


 この物語から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか?一言で言うなら「決断」ということができます。 まず、リベカの決断があります。アブラハムにも劣らない、自分の人生を神に委ねる生き方を私たちは見習いたい。 そして、ラバンら家族の決断もありました。自分たちの気持ちを優先させることもできたはずです。 しかし、彼らもまた、信仰に立って決断したのです。私たちも、信仰による決断をしなければならない時、 彼らの生き方を思い起こしましょう。