渋沢教会
更新日:2014.2.10

2月2日 御言葉の説教「生涯の務めを終えて」

大井 啓太郎牧師
創世記25:1〜11
ローマ9:6〜8

 

 アブラハムは晩年、再びケトラという妻をめとりました。サラが天に召され、淋しさを覚え、 また137歳となったアブラハムの世話をする人が必要だったのだと思います。 ですから、妻というよりは6節の「側女」といった表現が近いのかもしれません。 その子どもは4節にはアブラハムの子孫とは書かれずに「ケトラの子孫」とありますから、 明らかに待遇に違いがある事が分かります。ハガルに対して神様は祝福の言葉を与えられましたが、 ケトラにはもう、神様とのそのような対話は聖書には描かれずに子孫はそれぞれ、一つの民族を形成していきます。 そして、後にそれらの民族は、イスラエル民族と争いを繰り広げることとなるのです。 アブラハムは、祝福と共に災いの基となったのでしょうか?そうではなく 17章にあったように神様は 「多くの国民の父、諸国民の父」となるように契約されていたのです。 アブラハムによって大地の砂粒と同じように数えきれない子孫を生みだすことが、彼の役割だったのです。 後の時代、イスラエル民族と周辺の元は同じアブラハムから分かれた民族が争ったのは、アブラハムの責任ではなく、 その時代その時代に生きた人々が、神と向き合い、平和を模索しなければならなかったのです。 イスラエル民族の、神に選ばれた民族という自負が、他民族を蔑(さげす)む結果を生みました。 本来、神の選びを特権として考えるのではなく、大いなる責任として考えなければならなかったのです。 そのことが、同じ父を持ちながら、あい争う結果を生んだのです。そしてそのことはすぐ、 孫のエサウとヤコブという実の兄弟の中に生まれてしまうのです。

 アブラハムは、175年という生涯を終えて天に召されました。8節に「満ち足りて死に」とあります。 アブラハムは、決して完全な人物ではありませんでしたが、主なる神はいつも彼の傍らにいてくださり、 道を示して下さったのです。私たちも神と共に歩み、満ち足りた人生の終わり、新しい命の出発をしたいと思わされたことです。 与えられた命が地の塩、世の光として祝福の基になっていることを今一度、かみしめましょう。