渋沢教会
更新日:2014.2.21

2月9日 御言葉の説教「双子の兄弟の誕生」

大井 啓太郎牧師
創世記25:19〜26
ローマ9:10〜13

 

 アブラハムが天に召された記事を先週読み、アブラハムの生涯の務めに思いめぐらし、今日のイサクの息子、 エサウとヤコブの誕生の物語を読んだわけですが、 前後関係からエサウとヤコブはアブラハムが天に召される15年前に生まれているので今日読まれた聖書の記事のほうが、 アブラハムの死よりも早いのです。ですから、アブラハムは、孫の誕生と成長した姿も見ることができた。 だからこそ、「満ち足りて」その生涯を閉じることができたのです。

 さて、イサクに子どもが長い間与えられず、主に祈ったところ、主が祈りを聞き届けてくださり、 リベカは身ごもったとあります。アブラハムの妻サラも又長い期間、子どもが与えられませんでした。 神様が特に目をかけてくださる子どもというのは、そのようにして祈られた子どもなのです。 また、双子というのは、その祝福がさらに大きかったことを意味しています。リベカは、おなかの異変を感じて祈りました。 今のようにエコー検査で双子が分かる時代ではありませんから、無事に産めるようにリベカもどこか、 祈る場所に出かけたのです。すると、主なる神の声が聞こえました。この時、リベカはおなかの子にふたりの子どもがいること、 兄よりも、弟のほうが強い民族になることを知らされたのです。実際生まれた子供は、双子でした。 兄は毛深いという意味のエサウという名に、弟はかかとをつかむという意味のヤコブと名付けられました。 この二人の子ども、特に弟ヤコブがどのように成長していくのかそれが、 創世記のアブラハムの物語の次の大きな物語になっていきます。

 さて、今日の箇所で、私たちが教えられること、それは祈ることの大切さです。 イサクは祝福を約束された人物でした。しかし、それでもアブラハムと同じように長い間、子どもが与えられなかったのです。 祝福されていても、人生に苦悩はあるのです。祝福されていても、私たちは、神様に対して祈らなければならないのです。 神様との親しい関係を保つ必要があるのです。私たちにはすべきことがあるのです。