渋沢教会
更新日:2014.5.4

4月13日 御言葉の説教「主イエスが見たもの」

大井 啓太郎牧師
ゼカリヤ9:9〜10
ルカ19:28〜40

 

 聖書の預言通り子ロバにのってエルサレムに入城する主イエス様の姿を見て人々はこの人こそ、 我々を解放してくれる王という確信を持ち、歓喜の声をあげました。 しかし主イエス様を神の子と認めないファリサイ派の人々は民衆の反応をねたましく思って、 主イエス様にやめるよう声をかけます。「先生、お弟子たちを叱って下さい。 王でもないあなたを弟子たちは来たるべき王と言っています。神を冒涜しています」これが、彼らの言葉の意味でした。 それに対し、主イエス様はきっぱりと「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」と言われ、 彼らの言葉を取り上げないのです。石は変わらないものの象徴です。ヨシュア記24:27には 「みよ、この石が私たちに対して証拠となる。この石は、私たちに語られた主の仰せをことごとく聞いているからである」 とあります。主の言葉をことごとく記憶している。 もし、力ない群衆が精一杯の思いでダビデの子、ホサナと主イエスに救いを求める言葉をさえぎるならば、 太古の昔から真実を知る石が代わりに主イエス様に喜びの声を上げるというのです。 イエス様は彼らファリサイ派の形骸化した律法理解、悔い改めようとしないその態度、 そしてこの章の後半に出てくる宮清めで分かるように、信仰生活の腐敗、そして罪人と接することすらしないその愛のなさに、 泣き、憤らずにはおられなかったのです。

 また、エルサレムの都が見える場所まで主イエス様が来られた時、「お前も平和への道をわきまえていたなら…」 とイエス様は泣かれました。そしてエルサレム神殿に入られた時、そこで商売をしていた人々を見ました。 主は神殿が商業主義に染まっていることに怒りを覚えられたのです。 「祈りの家を強盗の巣にした」と。その言葉は、商人たちだけでなく、それを許していた祭司や、 ファリサイ派の人々にも向けられていたのです。

 主は群衆を見、エルサレムを見、神殿を見られた。主の目に映ったものは、何だったのでしょうか? それは、やはり主ご自身の贖いを必要とする人々であり、エルサレムであり、祈りの家だったのです。