渋沢教会
更新日:2014.7.5

6月15日 御言葉の説教「聖書への尊敬をもって」

鈴木 淳牧師
箴言19:21
マタイ25:34〜43

 

 本日、選びましたマタイによる福音書25章34節以下の箇所は、フレンドシップあさひのスタッフミーティングの時に、 私が職員に向けて話した箇所です。イエス様が再臨されるその日には、 全ての人々が神の前に集められ裁きの座につかされるという話です。裁きの座に引き出された人たちに、 王に扮する神は言うのです。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、 天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい』『お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、 のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、 牢にいたときに訪ねてくれたからだ』とです。しかし、それを聞いた「正しい人」は、 そんなことを王様に話した覚えはないと言います。すると王様は『この最も小さい者の一人にしたのは、 わたしにしてくれたことなのである。』と言われました。

 私がこの話を職員の皆さんに、特にノンクリスチャンの職員の目を見て話しました。 彼女はじっと私の方を見ながら、うなずいていました。また後から、聞いた話ですが、 これもノンクリスチャンの食事スタッフの方が、あの話を聞いて涙が出そうだったと言っていたことを後から聞きました。 そしてもう一人の開所から働いている、これもノンクリスチャンの職員の一人は 「やっと淳先生がやろうとしていることが分かったわ!」と言われました。 もう開所から7年目なので、わかってもらうのが遅すぎたような気もしますが、 遅くてもわかってもらって良かったと思っています。聖書の言葉は、クリスチャンである無しに関わらず、 人の心に真理を伝える力があります。その人の語りが旨いとか下手とかではなく、聖書が持つ説得力です。 私たちは、この聖書の力への尊敬を忘れてはなりません。この尊敬無くして、信仰の道はないからです。