渋沢教会
更新日:2014.8.9

7月27日 御言葉の説教「あなたの隣人は誰か」

大井 啓太郎牧師
創世記36:1〜8
ルカ10:25〜37

 

 創世記36章は、アブラハム・イサク・ヤコブと続いてきた契約の物語が終わり、 イスラエル民族を救うヨセフ物語がこれから始まるという転換点であり、そこに、少し唐突にこのエサウの系図が、 物語を分けるかのように挿入されています。この創世記において、系図が示される意味は、一つは、 全ての民族が神によって創られたことを示し、もう一つはアブラハムから始まるイスラエルという民族の歴史において 人がどのような罪を犯し、それでもなお神様が契約を守られ、導かれたかを思い起こさせる役割が与えられているように思います。 そのような意味で、このエサウの系図を見てみますと、この36章全体で、3回も読み手に念を押している文章がありました。 それは、8、19、43節にある「エサウとはエドムのことである」という言葉です。 旧約聖書は、もともとはユダヤ人に対して書かれたものです。サムエル記下8章を見ますと後のダビデ王がエドム人と戦い、 征服したことが記されていますから、ユダヤ人にとってエドム人というのは、 お互いの生活圏を守るために戦うべき異民族という意識が強かったのでしょう。 しかし、この創世記の文脈からは、「エドムは我々の祖先ヤコブの兄の子孫である」 ということが強調されているように読めるのです。 本来イスラエルとエドムは同じ父から出た兄弟なのだということをこの系図は示しているのです。 そしてそのことは、申命記23:8を見るとさらにはっきりします。イスラエルにとって良き隣人としてエドムがあったのです。

 私たちも、現在近隣諸国との様々な問題があり、苦慮することもあります。 しかし、主イエス様が善きサマリア人のたとえで示されたように、私たちは愛する心で接するとき、 本当の隣人として関係が成立してくるのです。私たちが人間関係に怒りや憎しみの気持ちをもつ時、 「隣人になったのは誰か」という問いを思い起こしてみなければなりません。