渋沢教会
更新日:2014.8.19

8月10日 御言葉の説教「転げ落ちてから始まる物語」

大井 啓太郎牧師
創世記37:12〜24
ヘブライ12:4〜11

 

 兄たちは、憎いヨセフを殺す機会を得たのです。父ヤコブの使いとしてヨセフがやってきたからです。兄たちは、ヨセフを見つけるとすぐにヨセフを殺す相談を始めました。 しかし、その時一番上の兄ルベンが、命まで取るのはよそうと言い、荒れ野の穴に入れようと提案しました。 そして、ヨセフが到着すると、父が着せていた晴れ着をはぎ取り、その穴に落としたのでした。叫んで助けを求めるヨセフをしり目に、 彼らは、それから平然と食事をしていたのですが、通りがかりの隊商を見つけ、ただ殺すよりも売ったほうが得になるというユダの意見を聞いて、 殺すことは思いとどまったのです。しかし、ヨセフを突き落とした穴にはすでにヨセフはいませんでした。別の隊商がヨセフを見つけ、奴隷としてエジプトに連れて行ったのです。 彼らは、はぎ取ったヨセフの服を引き裂き、ヤギの血に浸し父に送り届けました。 それを見た父ヤコブは、けものに殺されたと思いこみ、家族の慰めの言葉もむなしく幾日も嘆き悲しんだのです。 そして、ヨセフはエジプトに着き、ファラオの侍従長であるポティファルに売られたのでした。

 人生、山あり谷ありと言いますが、ヨセフの場合は穴がありました。兄弟からのひどい仕打ちを受け、遠い異国での生活が始まろうとしていたのです。 しかし神は、彼を見捨てませんでした。神が共にいて下さったのです。神様は人間のどん底に共にいて下さる方なのです。

 私たちの国は69年前どん底を味わいました。戦争に敗れ、焼け野原となり、多くの尊い命が犠牲になりました。 しかし、私たちの国は戦争をしないと決めて平和の道を歩んできました。それはみ心にかなっていたことだと思うのです。 しかし、もし私たちが同じ過ちを繰り返そうとするなら、私たちは再びどん底を経験しなければならないかもしれません。 神が共に歩んで下さる時、どのように歩むべきなのか、を問わなければならないのです。