渋沢教会
更新日:2014.11.2

10月19日 御言葉の説教「新たな地でも」

大井 啓太郎牧師
創世記47:1-12
ルカ8:22-25

1.挨拶

 おはようございます。今朝は気持ちのいい朝を迎えました。先週は台風の影響で中会召天者記念礼拝は中止でしたが、中会女性会の研修会があったり、 介護実技講習会に行ったりと慌ただしい1週間でした。来週はもう友愛セールです。天気のほうは週間天気予報ですと晴れときどき曇りでしたから、 大丈夫だと思いますが、どうぞお祈りに覚えてください。また、値札付けなど準備にもご協力いただきたいと思います。


 それでは、いつものように、お近くの方と、神様のみ前に集うことができたことを感謝して、「あなたに平和があるように」という意味のへブル語「シャローム」 ギリシャ語「エイレーネー」遠くから来てくださった方にはねぎらいの思いを込めて「エレーネー」とご挨拶しましょう。それではどうぞ。


2.ファラオとの会見

 さて、ヤコブは家族、家畜など全てを携えて無事エジプトに着き、ヨセフとの再会を果たしました。 ヨセフは、そのことをファラオに報告しに行ったのですが、その時に5人の兄弟たちを連れて行ったと聖書には記されています。 本来でしたら全員連れて行けばいい、気に入られそうな5人でも選んだのかというと、そうではなく、これには意味があり、エジプトでは5という数字が良い数字だったのです。 今までの箇所にも5にまつわるエピソードがありました。45章22、23節でベニヤミンに与えた晴れ着は5枚、父ヨセフに与えたロバと雌ロバは5の倍数の10頭ずつでした。 これは余談でしたが、そのようにして5人の兄弟がファラオに会見したのです。 ファラオは、兄弟たちに「おまえたちの仕事は何か」と尋ね、兄弟たちは、ヨセフに教えられていた通り、「先祖代々羊飼いです。牧草があるゴシェンに住まわせて下さい」と答えました。 ファラオは、どこでも好きな所に住むことを許可して、有能な者がいれば、ファラオの家畜の監督に召し抱えるということも言いました。 ファラオは、何から何までヨセフを信頼していたことが分かります。そして、兄弟たちの次に、ヨセフは父ヤコブを連れてきてファラオに紹介したのです。 ファラオはヤコブの年齢を尋ねました。ヤコブは130歳と答え、「わたしの生涯の歳月は、先祖たちには及びません」と付け加えました。 祖父アブラハムが天に召されたのは175歳、父イサクは180歳でしたから、これは事実でした。 ヤコブはこの後17年エジプトに滞在して天に召されましたから、147歳で天に召されたことになります。 先週も、申し上げましたが、ヤコブは130歳でカナンからエジプトまで旅をしたのです。 是非、ここにおられる皆さんには、130歳とは言いませんが、100歳で、礼拝出席を目指してほしいと思います。


 会見を終え、彼らは、ゴシェンに土地を与えられました。 後ろの地図の2「出エジプトの道」という図を見ていただくと、ナイル川の河口に彼らが住んだラメセスという場所が記されているのがお分かりになると思います。 普段であれば、水が豊かで草が良く茂る場所だったのです。しかし飢饉でしたから、彼らはヨセフに養ってもらったのでした。


適用

 さて、今朝のみことばから私たちは何を学ぶことができるでしょうか? 今日の説教題に私は「新しい地でも」と付けました。新しいエジプトという土地に移っても、ヤコブ一族は羊飼いだったということです。 このことを今の私たちに置き換えるなら、そうそう外国に移住することはないと思いますが、時代はどんどんどんどん変わっていきます。 生活様式もどんどん変わってきました。子どもの頃の生活と今がどれほど変わっているか、考えてみてください。 トイレは汲み取り式から、自動でふたが開くようになり、白熱電球は、LEDに代わり、小さな子どもが、スマートフォンをいじっている時代です。 便利になりましたが、同時に電気がないと何もできない時代になりました。ヤコブは、文明の最先端を行っていたエジプトの都を見て、きっと驚いたことでしょう。 しかし、彼らは羊飼いであることを選んだのです。羊飼い、遊牧の民としての生き方を捨てませんでした。 それはすなわち、寄留者としての生き方です。私たちも実は、ヤコブたちと同じ、神の国を目指して旅する寄留者なのです。 この時代に左右されることなく、いや先ほど読んだ主イエスの弟子たちのように、時に時代の荒波の中に浮かぶ小舟のように左右されながらも、 絶えず神の国を目指して歩みたいと思います。