渋沢教会
更新日:2014.11.30

11月23日 御言葉の説教「ゆるされた!」

大井 啓太郎牧師
創世記50:15〜26
コロサイ1:21〜22

 

 父ヤコブの葬儀を終え、兄弟たちはエジプトに戻ってきました。その時、兄弟の脳裏に、ヨセフがまだ殺されそうになった時のことを恨んでいて、 父の死をきっかけに仕返しされるのではないかと不安がよぎったのです。涙の和解から17年、共にエジプトで生活していても、そのような疑いをもってしまうのは、 本当に人間の弱さだと思うのですが、忘れようにも忘れられない事はあるのです。そのような不安から、兄弟たちはヨセフに直接会うことができず、 人を介して、許してくれるように言ったのです。これを聞いたヨセフは涙を流しました。兄弟たちが「あなたの僕です」とヨセフが少年のころに見た夢のようにひれ伏しました。 しかし、ヨセフはあの頃のような、兄弟と優劣を競うような考えは毛頭なく、これは神様が多くの民の命を救うためにしたことだと言い、慰め優しく語りかけたのです。 個人の恨みつらみではなく、神の意志が働いている。彼はアブラハムやイサクやヤコブと同じようにその人生に働かれる神の摂理を知っていたのです。

 そのヨセフも、110歳となり、年老いて天に召される日が来ました。本当に満ち足りて穏やかな晩年であったことがうかがえますが、 彼も父ヤコブのように約束された土地を夢見ながら、天に召されました。実際出エジプト記には、モーセがヨセフの遺体をカナンに運ぶという記述が、 13:19に出てきます。彼の願いはしっかりと幾世代も受け継がれ、かなえられたのでした。

 ヨセフは、ヤコブに防腐処置をし、ファラオの許可を得て、エジプトとカナンの国境近くで葬儀を行い、そこから、さらにヤコブの息子たちは、 父の亡骸をカナンのマクペラの墓地にまで運び、葬りました。

 1年半創世記を読み続けて、世界を創造された主なる神様は、契約を交わした人間を何処までも導かれる方であること、 又ヨセフが示した兄弟たちへの赦しは、主イエスの十字架の赦しのひな型であることを学びました。「赦された!」との喜びを胸にアドベントを迎えましょう。