渋沢教会
更新日:2014.12.26

12月14日 御言葉の説教「待降節B教えられなかった人」

大井 啓太郎牧師
イザヤ61:1
ルカ2:8〜20

 

 今年のアドベントは、クリスマスを喜べなかった人たちに注目しています。先々週はヘロデ大王、先週は宿屋の主人を見てきました。 今日の箇所では、羊飼いが天使から主イエス様のご降誕を告げられ、御子に会いに行くという箇所ですが、ここには喜ばなかった人というのは登場しません。 ただ18節に羊飼いから聞いた人々が不思議に思ったとあります。今日は、この羊飼いから聞いたという人々について考えてみたいのです。

 聖書によれば、主イエスのご降誕に駆けつけることができたのは、東方の学者と羊飼いでした。 東方の学者は異邦人、羊飼いは、当時人口調査をされなくともいいほど貧しい人々でした。 学者は仕事として星の動きを調べ、羊飼いたちは羊を野の獣から守るために夜通しの番をしていたのです。 両者とも、地上の出来事には目を向けていなかった、違う言い方をすれば、相手にされていなかった人々でした。 その彼らに、救い主の降誕が告げ知らされたのです。羊飼いたちは、ベツレヘムに行き、そこで天使の言葉通りに家畜小屋にいた、生まれたての赤ん坊を目にしました。 貧しい彼らでも、家畜小屋で、人がお産をするというようなことは聞いたことがなかった。天使の言葉が、実際に起きたことであった事を、彼らは人々に知らせました。

 しかし、町の人々は羊飼いたちの言葉を信じませんでした。世界を救う救い主が、家畜小屋で生まれはずはない。 そのように思って一笑に付すのが関の山だったのです。悪意はなかったかもしれませんが、自分たちの常識や固定観念、 また羊飼いたちに対する偏見などによって信じることができなかったのです。 私たちも、ただ精一杯目の前のことに追われるような生活をしていると、心には神様が語りかけるスペースがなくなってしまうのです。 イエス様がお生まれになった時、宿屋に彼らがいる場所がなかったように。 私たちも又、夜空を見上げた羊飼いや東の国の学者たちのように、心の目を高く上げ、希望の誕生を祝いたいと思うのです。