渋沢教会
更新日:2015.02.08

2月1日 御言葉の説教「荒野の誘惑」

大井 啓太郎牧師
出エジプト34:27〜28
マルコ1:12〜13

 

 イエス・キリストはバプテスマのヨハネから洗礼を受けた後、霊に導かれ、荒野にて悪魔の誘惑を受けました。 悪魔にとっては、このことは神のご計画を邪魔をする唯一の、そして、最大のチャンスでありました。 今日与えられているマルコ福音書には、ただ13節「サタンから誘惑を受けられた」と記されているだけですが、 マタイ福音書4章を見ると、サタンの誘惑の言葉とそれに対して主イエス様がどのようにその誘惑に打ち勝ったか、が記されています。 悪魔は主イエス・キリストに自分のために力を使えというのです。それは神の子なのだからという言葉とは裏腹に、主イエス・キリストを神の子ではなく、 自分のために生きる人間と変わりなくさせようとするものでありました。それに対し主イエスは超越的な神の力を用いて悪魔の誘惑に勝ったのではなく、 人としての罪の弱さの中で「神のみに従う」ことで悪魔の誘惑を退けました。

 私は先週、礼拝を休んでみなとみらいにあるパシフィコ横浜という会場で介護福祉士の試験を受けたわけですが、大変な発見をしたのです。 日曜日のゆったりとした時間、いいもんだなあと感じました。しかし、本当に発見したのは次のことです。もし、毎週こんな日曜日だったらどうだろう。 礼拝しない日曜日が続いたとしたらどうだろう。そう思ったのです。たしかにそこは気持ちのいい場所でしたが、本当に心落ち着く場所は、教会ではないか。 そう思ったのです。そう思えたとたん、今自分がいる場所が、サタンが誘惑する荒れ野に思えてきたのです。 私たちは、豊かになり、何もない荒れ野を想像することはなかなかできません。しかし、霊的な荒れ野は、豊かさの中にあると思わされたのです。 しかし、その荒れ野に出てみて、本当に大切なことが分かったのです。 荒れ野に出て行くこと、それは悪魔の誘惑でありますが、一方で私たちが本当に大切な事柄と出会うためには必要な場所なのです。 だからこそ、主は荒れ野に出て行かれたのです。荒れ野に進め。