渋沢教会
更新日:2015.03.08

3月1日 御言葉の説教「新しい教え」

大井 啓太郎牧師
申命記6:1〜5
マルコ1:21〜28

 

 4人の弟子を連れた主イエス様は、ユダヤ教の会堂に行き、教えられました。その主の教えは、当時人々が聞いていた教えにはない新しさと力強さがありました。

 よきサマリア人のたとえでは、隣人とは誰かという問いの答えはサマリア人でした。当時のユダヤ人は、異民族とは、交流を極力避けていました。 それは、歴史的にも異民族との争いがあり、聖書(当時は旧約のみ)にも異民族と交わるなと書かれていたからでした。 しかし、主イエスは、民族で人を区別しませんでした。傷ついた人を助けた人が、聖書の語る隣人であると語ったのです。それはまさに新しい教えでした。

 また、主イエスは行動でも人々を驚かせました。当時、徴税人や売春婦、病人といった罪人とされた人々と共に食事をしました。 イエス様は「私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである(マタイ9:13)」と語りました。 イエス様は進んで彼らの元に行き、教えられました。神様から見放された存在と思われていた人々も、神様は招いておられるという教えは、まさに新しい教えでした。

 また、律法そのものも主イエスは大胆に解釈しました。安息日の規定を、何もしないのではなく、良い事をするならば、それは律法にかなっているとしたのです。 そして、当時権力をもっていた律法学者、ファリサイ派の人々を、「ファリサイ派・律法学者の実に注意せよ」と彼らの偽善、見せかけの信仰を糾弾しました。

 そして「お前はメシアなのか」という問いに「そうです。」と答えたことが、(マコ14:61−62)最大の理由だったのです。 主は聖書によらず、主ご自身の権威によって、教え、いやされたのです。

 主イエス様が、この現代の状況をご覧になった時、何を語られるのでしょうか? この時代の救いを必要としている人々のために、伝統的な教えを乗り越え、私たちも新しい教えに生きなければなりません。