渋沢教会
更新日:2015.03.21

3月8日 御言葉の説教「主イエスの癒し」

大井 啓太郎牧師
エレミヤ17:14
マルコ1:29〜34

 

 主イエス様は、会堂で新しい教えを語った後、シモン・ペトロとその兄弟アンデレの家に向かわれたのです。そこには、熱を出したペトロの義母がいたのです。 病を癒す場面をマルコは、簡単にしか書いていませんがマタイとルカの描写では、イエス様は「一人ひとり」手を置かれ癒されるのです。 私たちのさまざまな悩み・苦しみを一つひとつ丁寧に人格的な交わりの中で、癒されるのです。 今日の聖書には病人の言葉は記されていませんが、イエス様はきっと優しく、希望に満ちた言葉を一人ひとりにかけておられたと思うのです。

 病気は絆を断ち、人を孤独にします。それまでの予定をすべて台無しにしてしまうのです。その孤独の究極の形が、死です。 たとえ大病でなくとも、今、この時も人には言えない、理解してもらえない病と孤独に闘っておられる、兄弟姉妹もおられることだと思います。 そして、一番深刻なこと、それは神を疑い、「神に見捨てられた」と神に失望するということなのです。 そして何より主が回復したかったもの、それは、主なる神様との関係の回復だったのです。主イエス様の本当の救いは、「罪」からの解放でした。病は一時のものです。 しかし、神との関係は永遠につながる事柄なのです。病の痛みは苦しい物ですが、神様との関係がしっかりと保たれていれば、病の中にあっても讃美歌を歌い、喜ぶことができるのです。

 主イエス様の働きは病気の治療が主なる目的ではなく、心の痛み・悲しみ(究極的には神との断絶)からの回復でした。家族や共同社会、そして神との関係の回復です。 主イエスは、神様との関係が回復する事を宣言するために、私たちの世界に来て下さったのです。これが主の癒しなのです。 また、癒すという意味のギリシャ語には「仕える」という意味も含まれています。主イエスが病を癒される時、主は私たちに仕えられたのです。 私たちもまた、癒され、み言葉を運ぶことによって、癒すものとなりましょう。