渋沢教会
更新日:2015.03.29

3月22日 御言葉の説教「友のために」

大井 啓太郎牧師
レビ19:17
マルコ2:1〜12

 

 この出来事にはいくつか考えさせられる所があります。まず、5節の「その人たちの信仰を見て」という点です。 主イエス様は、彼らのどのような信仰を見たのでしょうか?すぐに思うのは、屋根に上って釣りおろした、その勇気やアイデアを主イエス様がみて、 感心したことと読めるのですが、口語訳聖書を見ますと、「人々が4人の人に中風の人を担がせた」とありました。実は大勢の彼を思う仲間がおり、 その中の4人が彼を屋根に上げたのです。主イエス様が見た信仰、それはレビ記19章を超えた、隣人のために一生懸命になる姿、〜してはならない、 ただ守っていればよいという律法を超えた信仰を主はご覧になったのです。

 そして、もう一点、それは罪を赦す権威についてです。律法学者たちはイエスを赦せない言葉を聞いてしまったのです。 それは主なる神にしかすることのできない罪の赦しの宣言「あなたの罪は赦される」でした。 まず、考えなければならないのは、罪の赦しと病の癒しは、当時は同じ事と考えられていました。罪が赦されれば、癒されますし、病が癒されれば、 罪が赦されたことになるのです。ですから、主はあえて、罪の赦しをはっきりと示すためにこの人に「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われたのでした。

 いま、私たちは主の十字架後、復活後に生きています。主が私たちの罪を全部身代わりになって下さった世界に生きているのです。 ですから、今私たちは「赦された」世界に生きているのです。しかし、私たちは病になりますし、年老いて、また病で死を迎えるのです。 私たちは、しかし、死んでも永遠の命が与えられると信じています。 ですから、この罪赦されるというのは、わたしたちにとっては過去のことであり、現在のことであり、さらに未来のことなのです。