渋沢教会
更新日:2015.04.12

4月5日 御言葉の説教「復活の希望」

大井 啓太郎牧師
ヨナ2:1〜11
ヨハネ20:1〜10

 

 主イエス様は2日前、一方的で不当な裁判の後にひどい仕打ちをされ、全身の皮膚は鉄の重りの付いた鞭で引き裂かれ、 自分ではもはや、十字架を担ぐこともできないぐらい痛めつけられた後に十字架にかけられ、手足にくぎを打たれ、わき腹を槍でつかれて、 「成し遂げられた」と語られて、息を引き取られました。十字架から降ろされた後は弟子の持っていた墓に葬られたのです。 そして、ユダヤ教の安息日である土曜が終わるまで安置されたのです。そして不思議な出来事が起こりました。主イエスの遺体がなくなっていたのです。

 復活の出来事は確かに不可解であります。しかし、聖書が私たちに語りかける真理、それは一言で言うならば、死は人生の終りではない、と言う事です。 最近私は「命とは何だろう」と考えることがあります。長生きする方がおり、逆に短い命の方もいる。命って何でしょう。まだその答えはよくわかりません。 しかし、確かに言えること、それは私たちは神様に対して多くの罪を犯している存在であり、主イエスはその罪を主は肩代わりして下さった。 キリスト教用語でこの事を「贖い」といいますが、主イエスは私たちの罪を贖い、罪の結果である、死から解放して下さったのです。 少なくとも聖書は私たちにそのように語っています。私たちは主の死によって罪を贖われ、 そして、主イエス様の復活によって私たちも同じ復活という希望を与えられたのです。 復活された力と言葉を信じる、それが復活の意味であり、信仰です。このように考えると、死は人生の終りではなく、新たな始まりと思う事ができ、 老いや死に対する恐れや悲しみ以上に生き生きとした希望を私たちは抱くことができるのです。 朝日と共に主イエスは甦られました。安息日が終わった週の初めの日の朝、それはまさに主なる神様が、世界を創造しはじめた時のように、 主なる神様は主イエス・キリストを復活させることによって、人類に新たな希望を与えたのです。