渋沢教会
更新日:2015.05.02

4月19日 御言葉の説教「喜びの信仰」

大井 啓太郎牧師
レビ16:29〜31
マルコ2:18〜22

 

 バプテスマのヨハネの弟子たちはユダヤ教の三大善の一つである、断食をよく行っていました。三大善というのは「礼拝」「善行」そしてこの「断食」でした。 断食は、もともと懺悔や悲しみのしるしとして行われました。また、イエス様も荒野での40日の生活の中で断食をされたこと、 悪霊を追い出す時に断食が必要なことが聖書には記されています。そのほか忍耐を学ぶため、貧しさを学ぶため、断食は決して悪いものではないのですが、 主はマタイ6:16以下にあるように、それを偽善的に行うことを厳しく戒められています。神様は、苦行によって心を動かされるのでもなく、 ましてや自分の正しさを示すことが大事なのではないのです。そして、今日与えられている箇所では、今は断食をするときではないと言うのです。 主はご自身を契約の民イスラエルに与えられた花婿として、「私(主イエス)がここにいるという事こそ、婚礼の時のように喜ぶべき時である。 赦しがここにある。なぜ、悔い改めが必要なのか、私が十字架に掛かるその時、人々は断食をする。」と言われたのです。

 そしてまた、服の継ぎあて、ブドウ酒の革袋のたとえを通して、それまでのしゃくし定規な律法理解と、主の語られる福音は違うことを示しました。 それまでの律法は、神の民として正しく生きる規範として、人の行動を制限するものとして守られてきましたが、 主イエス様は、誰もが神に創造された愛されるべき存在であることを示し、伝統や習慣に縛られない律法の再解釈をされました。 主ご自身「罪人の救いのために」来てくださったのです。ですから、主の教えは喜びの福音なのです。 レビをはじめ、多くの人々が、それまでの教えにはない自由と真理を、主イエスの言葉に感じ、主を受け入れたのです。喜びの福音に生きよう。