渋沢教会
更新日:2015.05.17

5月10日 御言葉の説教「主イエスの挑戦」

大井 啓太郎牧師
エレミヤ17:19〜27
マルコ3:1〜6

 

 安息日に、主イエス様はある会堂に行かれました。その会堂には、一人の手を病んだ者がおりました。 彼は主イエス様に癒しを願いでたわけではありませんでした。彼と主イエスを結び付けた者は、主イエスを試みようとする者たちでした。 マタイには、彼ら自ら「安息日に病気を治すのは、律法でゆるされていますか」と主イエスへ問うたことが記されています。 この問いの答えを質問した者たちは実はを知っていました。当時、それが急病であるなら、安息日でも治療は大目に見られていました。 しかし、彼のような慢性的で、命に関わるような病でない場合、やはり、治療は許されていなかったのです。 彼らは病人をだしに主イエス様を試そうとしたのです。このような彼らに対し、主イエス様は心から礼拝せず、また病める者に対して無慈悲でいる者たちを怒り、 また悲しんだのです。主イエスは、その手の萎えた人を中央に立たせました。このまん中に立たせるということは、大きな意味がある言葉だと思います。 主は、傷ついた人の人生を立ち直らせるのです。人々の真ん中に堂々と立たせて下さるのです。そして、手を取り、癒されました。

 主イエス様は律法を誤解し、さらに細かい規則を作り、守る事にきゅうきゅうとしていた人々に対して、「安息日に善と悪を行うのとどちらが正しいのか。 安息日に善いことをする事は許されている」と新しい解釈を示します。 しかし、このような主イエスの律法解釈をファリサイ派の人々は理解することなく、安息日を汚すものとして、殺す事を相談し始めるのです。 しかし、実際に安息日を汚していたのは一体誰であったか。主は、律法に新たな光を与えました。それはまさに主イエス様の挑戦でもあったのです。 私たちはそのことを深く考える必要があるのです。