渋沢教会
更新日:2015.05.31

5月17日 御言葉の説教「神の子と呼ばれて」

大井 啓太郎牧師
エレミヤ29:11
マルコ3:7〜19

 

 おびただしい群衆が主イエスの元に集まり、主は弟子たちの中から12人を選びだしました。 並行記事のルカ福音書6章を見ると、イエス様は一夜を祈って過ごし、そして使徒とされたと書かれています。 弟子と使徒とでは何が違うのでしょうか。ギリシャ語では弟子はマテータス、使徒はアポストルースといい、意味は弟子は、 その教えを実践するもの、使徒は、使者・大使ということです。12人の弟子たちは他にもいたであろう弟子たちから選ばれて、 単にイエス様の教えを実践するものから、伝えるものへと変えられたというのです。マタイ福音書10章には、この12弟子が、 使徒とされたことに続いてすぐに、町々に派遣されたことが記されています。

 しかし、どうでしょうか、この12人の顔ぶれは。ペトロとその兄弟アンデレとヤコブ・ヨハネは片田舎の漁師でした。 使徒4:12には、ペトロはご丁寧にも「無学で、普通の人」と書かれ、 ヤコブとヨハネは怒りやすく「雷の子」ボアネルゲスとイエス様にあだ名をつけられてしまいました。 フィリポは、5千人の給食の奇跡の時、真っ先に自分たちの持っていたお金から「200デナリオンのパンでは足りないでしょう」と反論し、 バルトロマイは「ナザレから何か良いものが出るだろうか」とイエス様を疑いました。マタイは収税人、トマスは現実主義者、若いヤコブに、 ユダと呼ばれたタダイ、過激派熱心党のシモン、そして裏切り者のユダ。全く使徒にはふさわしくないような人々ばかりだと思うのです。 世界の運命がこの12人にかかったのです。彼らは事実、イエス様が十字架にかかった時にはちりぢりに逃げてしまったのです。 しかし、このような弟子たちでしたが、復活の主に出会い、彼らは変えられていきました。

 私たちも、弟子たちに自分を見るのです。無学で怒りやすく、現実主義者でお金が大好き。それでいて怖がり。 全くいいところなどないような私たちですが、主は私たちを召してくださったのです。それは、エレミヤが言うように希望の計画なのです。